宇宙に加護の時来る
(問)メシヤ(救世主)はイエス・キリストにも冠されているが、それとはどんな関係がありますか
(答)西洋では一応キリストをメシヤと称しているが、まだしっかりした定義のもとに謂っているわけではない。救世主といっても、真にその目的を達成したものはない。廿世紀前半まではその実力を顕現するまでにはゆかなかったかもしれないが、然し、愈々、これからが神の実力が発現される時期に入ってきたといえる。西洋においてはキリストもさぞや本来の実力を発揮されることと思う。而して東洋においてはメシヤがほんとうに御神力を発現されることと確信する。だから従来のような宗教的観念ではとうてい理解できない、もっと神秘にして幽邃(ユウスイ)な御神力がはじめて登場することになる。私はもちろんメシヤの代行者であるから、今後、如何なる形態によってメシヤの御働きが行われるか、想像だに許されないが、しかし、現在の僅かではあるが、神の御動静から推察してこれはまた大ヘンな御霊力が宇宙に御加護あられるということが申してもよいと思う
(問)メシヤ教になってから特に顕著な事例はありますか
(答)霊界から非常に鋭い反響が現れている、奇蹟(おかげ)がさらに強くなってきた。いままでのおかげは尋常一様なことゝなり、想像もできなかったようなおかげが続々と起きている。しかし、一面、善悪の審判はことの他峻烈化し、悪への断罪は厳粛に行はれるようになった。『光』と『救世』の差はそこにあるので、たんなる改題や、商標の変更ぢゃないことをよく銘記すべきである
(問)メシヤ教誕生の世界的意義はどんなところにありましょうか
(答)神様の御働きになる範囲はこれまでたんに日本という一局地にとどめられていたが今後これは全東洋に波及するものと思はれる。信仰には国境はないといわれるごとく、神のお働きは宇宙無限、一草、一木にまで御慈悲が加わる。しかも、本教のモットーとしている『病、貧、争』の絶無の境地がいかなるところにも及ぶのであるから『平和世界』の現出は火を見るより明らかである。争いごとは、人類のもっとも忌み、嫌うところだ、どんなことをしても人類はもう争いごとを止めなければならない。まして武器なき日本人は『平和世界』のために先頭に立って働くべき宿命を負はされている。いま国内で、左だ、右だと騒いでいることは『平和への切なる希求』の一過程だとするにはあまりに幼稚すぎる。平和のために真剣にやっている態度とはどうにも思えない。小さな争いごとがだんだん昴ずると民族相互の相剋となり、民族相互憎しみとなる。こんなところから、民族の分裂が生ずる。ながい間、武家政治の犠牲となり、軍閥の圧制に苦しんできた日本人はもうこのへんで冷静、沈着、ほんとうに国内相剋から脱却したたのしい平和国家をつくり上げるようなおほらかな気持に立還ることができないものか、最近つくづく日本人の狭量さが眼について仕方がない
(昭和二十五年三月十一日)