自観大先生年頭の抱負発表 新春熱海炉辺談 記者との一問一答

荊の道を越えつつ、いまこそ大いなる躍進の胎動する新春を迎え卅万信徒の感激また新たなものがある、これ悉く、剛気不動、明敏神技ただ世紀の聖業成就に一身を抛たれる自観大先生の偉大な霊力と威徳によらざるはないのである

新春劈頭(ヘキトウ)、特に寸暇を割かれ本紙記者と対談された大先生の胸奥には更に人間世界未知の無量な秘境さえ窺うことができた

以下新春熱海爐辺対談の概要を愛読者諸君におくる--

記者「去年は教団にとっては相当多難な年だったと思はれますが、これについて先ず大先生の御感想を承りたい」

大先生「一昨年は税金問題、去年はジャーナリズムの不当なる攻勢に遭い、いろんな意味において楽でなかった。しかし私は決して、悲観もしなければ、自信も失はない。むしろこのにがい試練こそ神示による私の仕事に一層大きな恵沢を与えてくれたものと思っている。なにしろ本教の発展はあまりにも急激だったため、道義失調の日本の一部の人達から非常な嫉視感をもたれたのが、大きな原因だと思う。これは、いかなる宗教と雖も或期間は免れ得ない運命で、過去の宗教の歴史によっても明らかだ」

記者「このあいだ某大新聞社の幹部に会ったとき“なぜ日本のジャーナリズムは本教のみを批判の対象にするのか”と質したら“いや、観音教を決して眼のカタキにしているのではない、新宗教を取扱おうと思う場合、観音教がやはり日本で一番大きいからだ”との答えだった。それにしてはジャーナリズムもずいぶん勝手放題な嫌がらせをやるもんですね」

大先生「私はどんなことを書かれようと一つも気にしていない、それは悉く興味的作為に依っているのであるから、こちらとしてはなんら恐るるところないからだ。まあ、戦後派の邪神共の寿命もさほどながくはないだらう」

記者「教線の急速な膨脹に指導上多少の無理が生じたのではないでせうか」

大先生「その憾はたしかにあった、外部が一ぺんに伸びると、どうしても内部がそれに歩調が揃はなくなるのは当然のことで、やはりこの場合は或程度膨脹力を制御することが必要であろう。つまり私から云はしむればジャーナリズムの逆宣伝も背後に神意の存していることを自覚すべきだと思う。これは負け惜しみぢゃないが、神はしばらく隠忍自重の時を私に藉されたものと信じ、尺進寸退の形を或はとるもよいのではあるまいかと思う」

(昭和二十五年一月一日)