或客との対談 (光新聞二十七号)

最近対談した客は、警察方面の重要な仕事を大規模にしてゐる人である

客「今日本は防共に最も関心をもってゐる。其為警察力をもっと強化しなければならないが、警察官を増加する事は一寸困難な理由があるので此ままで現在の国警機能をもっと強化させなければならない。万一の場合、最も迅速な聯携的行動が必要である。其為目下努力中である」

私「成程、それも結構である。当面の急を救ふとしては、それ以外に手がない事は吾等も賛成である。然しそれだけでは一時的で、根本的恒久的ではない、とすればどうしても物質的方法以外精神的の対象が必要である。それには勿論信仰である。既成宗教では勿論力はない、それは現実が示してゐる。どうしても今迄にないような新しい強力な宗教でなくては駄目だ。判り易くいえば斯うである、今日の医学である。医学の行ってゐる方法は、病原は何でも黴菌としてゐる。それが為黴菌を恐れる事甚しく、朝野共黴菌恐怖症に罹ってゐるといってもいい。といふのは黴菌が体内に侵入すると発病するといふ危険があるからで、之も現在としてはやむを得ない手段である。

処が如何に黴菌が侵入しても発病しないといふ健康体になれば、それで問題は解決だといふ事と理屈は同じ事である。つまり共産主義にしろ何々主義にしろ、良い物なら採入れる、悪い物は排撃するといふようにその判別の力を民衆が有てば可いのである。その判別の力こそ、黴菌に犯されない健康体と同様で、言はば思想の健康体である。それには力ある宗教によるより外はない。故に警察強化と宗教強化と相俟って進む事こそ理想的である」

客「よく判りました、貴教も大いにやって貰ひたい」

と言って帰った

(昭和二十四年九月十七日)