自観大先生との対談 現当利益の宗教 理想は世界の永久平和

すがすがしい初夏の微風が庭園を洗う最近の或一日、岡田自観大先生は『光』第十号成長記念特集号紙上に錦上花を添える思召しから特に記者のインタビウに応えられて、こんにちまであまり世間に具体的説明を試みられなかった諸問題についてはじめて偉大且明快なる御意見を公けにされた、以下大先生との御会見記である(文責在記者)

記者 信仰心は人間の苦悩をほんとうに救い得ることができるや

大先生「救はれないと思えば救はれないし、救はれると思えば救はれる、要はその人の信仰に対する意欲の問題である、信仰心をもとうと思う人はまづ触れてみることである、触れてみてこれで救はれると思えばその人は信仰の世界に入ったことといえる、しかしいままでほんとうに人間苦を救った宗教はほとんどなかったといえる、それはたいがいの宗教は理屈だけで実際の力がないためである」

記者 力をもった宗教とはどんなものか

大先生「それは現当利益のあるということである、いままでの宗教には多少の現当利益があったが、それほど顕かなものはなかった、それは現当利益が少い結果逆に現当利益を低級宗教といはれて了った、従来の宗教学者の殆んど全部が宗教を理屈のワクに閉じこめて現当利益の実存を無視していたといえる、即ち現当利益をたんなる奇蹟だと断定していることである、奇蹟を信じないということは宗教そのものを信じないということにも通ずる」

記者 奇蹟というものを信じてよいか

大先生「奇蹟は信じてよい、信仰心がなくとも必づ奇蹟を信ずるようになる、われわれのいう奇蹟とは即ち現当利益である、現当利益の多いものはまた奇蹟が多いといえる、これを邪教といい、迷信宗教といってただ理屈一点張りでおしとうしてきた既成宗教学者の考え方を根本的に打破せぬ限り信仰心によって人間苦を、社会悪を済度することは絶対不可能である、うまいものを喰べたいと思っている口にそのうまいものをあてがってやることができればそれほど幸福なことはない、人間にはみんな欲望があるのだ、その欲望を満すことができればよいのである、誰だって欲望を満したいために金を持って行って物を買おうと思うのである、もし金を持って行っても、物を呉れなかったら大変なことである、現当利益というのはこのことにも当てはまる、信仰しても御利益のない宗教なら無意味にひとしい、そんな宗教なら信仰しない方がよい」

記者 観音様の御蔭はどんなぐあいに現れるか

大先生「奇蹟が事実となって現れ、現当利益がじっさいにあるということが偉大なる観音力のおかげである、これまでこの観音力というものを発現することができなかったのである」

記者 では観音力の実存は信じられる訳か

大先生「実存している、私はこれをもっと科学的に説明することはできるが未だその時機に達していない、いわば私の発揮する観音力はいまの宗教的水準よりずうっと上にあるから未だ一般が充分に理解することができないのである、だから私のいうことをびっくりして迷信だと否定する人々ができるのである、宗教の揺籃時代はもちろんいばらの道である、キリスト教をバテレンとして迫害したということもそのことである、やがて解ってくれば自らその価値を信ずることになる」

記者 宗教の社会的な行動は是か非か

大先生「宗教は大いに社会的行動をとらねばならない、哲学者や、宗教学者は自ら学んでいて、或は自分のみ救はれているかもしれないが、それでは世の中を救い、衆生を救済することにはならない、一部知識のあるものや、特定の階級のもののみが喜んでいるような宗教こそ邪道である、万民が喜び、万民が救はれねばほんとうの神の恵みとはいえない、観音力のおかげはこれら人間社会ばかりではなく、鳥類や獣類の社会にまで及んでおる」

記者 大先生の御理想とする地上天国とはどんな御構想か

大先生「病貧争絶無の世界をつくらうという理念にほかならない、花園をつくり、結核を癒さうという仕事も、地上天国化運動の一つである、しかしこれのみを目的とするものではなく、これは現世に地上天国を築かうとする一つのサンプルにしか過ぎない、霊体一致、仏心一如というがごとき即ちこれである」

記者 光明如来さまと観音様との御つながりについて

大先生「一しょであるがお働きになる時期がちがふからである、然し光明如来さまの方が上位のお働きである」

記者 観音さまの御訓(ミオシ)へは科学を否定しているや

大先生「けっして科学を否定するものにあらず、むしろ科学に先行するものであるといった方がわかり易いかもしれない、科学の進歩したもの、即ち科学が二十世紀の科学なら観音さまの御訓へは二十一世紀の科学ともいえる、だからいまの文化や、医学が一世紀おくれているともいえるのである」

記者 御浄霊は医学を否定するものか否や

大先生「否定はしていない、ただ、いまの医学的水準では治らないものが、治るという御利益があるから自然に医薬を必要としなくなるのである」

記者 大先生は社会主義に就てどういふお考へか

大先生「社会主義は今は時勢に遅れてゐる、一部特権階級と庶民階級の間隔がひどかった封建時代はもちろん必要であったが、あらゆる階級が全部一列にならねばならないという思想は悪平等だと思う、働くものも、のらくら者も一しょの境遇におかれるということはかえって不公平なことだ、まあ資本主義も必要であり社会主義も必要であり共産主義も必要であるがそれらをうまくあんばいしてゆくそれが民主主義だと思ふ、同じ絵を書くにしても、赤ばかりでは絵にはならない、いろんな色の配合があってこそ美しい絵が完成するのである、食べるものでもそうである、あまいもののあとには辛いものも時には必要である、なんでも一列にしたり、一色にしたりしては妙味というものがなくなる」

記者 大先生の御霊感は日本の将来をどう観られるや

大先生「日本は必ずよくなるとかたく信じている、その兆はいま現れている、長期間の戦禍はいま日本の体をめちゃめちゃにしてしまった、まさに日本は重症患者である、うんうん唸っている重病人である、金づまりはフンづまりである、悪い思想は結核菌である、これを治す医者はいま日本には出てない、殊に唯物思想は日本の再建にどんなに障害になっているかわからない、唯物思想を根本的に排除してそこへ唯心思想をとり入れねば絶対日本は健康になれず救はれない、唯物思想は目に見えない神を否定し、その存在を無視している、宗教を否定してはうまくゆかない」

記者 宗教による平和運動について御所見如何

大先生「日本だけよくなってもしようがない、世界全たいがよくならなければならない、そのためには宗教的に、霊的に、世界の人々の心がつながれねばならない、私の念願しているのはこの世界平和の大理想にほかならない、観音教の宗教活動も、いわば世界平和運動の一環ともいえるのである、その行動の第一歩はまづ日本の大浄霊である、悪霊を除いて清新発らつたる誠心を喚起せねばならない、そのために私は日夜救世に身を砕いているのである」

記者 御多忙のところ御有益なおはなしを頂いて信者も、またこれからの入信者もどんなにか、大きい光明を見出したかわかりません、有難うございました。

(光号外 昭和二十四年五月三十日)