私はつい最近、某政治家と某所で予ねての約により対談会をし、数時間に及んだ、其人は大臣を二度までした人でなかなかの有力者だ。
客『今の日本でなすべき最も重要なる事は何であるか』
私『何よりも先ず国民に政治教育を叩き込むことで政治に興味をもたせる。というのは今日の日本の民衆は、誰が大臣になろうと何党が内閣を作ろうと、余り関心を持たない、自分等の生活が楽であればそれでいい、というのが彼等の偽らざる心情であろう。つまり一般的教養が低い、もっと此レベルを上げるべきだ。国民一人々々が、自分自身政治家のような気持にまでならなければいけないと思う』
客『成程お説の通りに違いないが、では政治の方は』
内閣に“時”を与えよ
私『日本の内閣は実に短命だ、之では良い政治は出来る筈がない。如何程立派な政治家でも半年や一年で、立派な経綸を行うことは無理だ。先づ相当期間、黙って政策をやらせることだ。その結果良くなければ、初めて更迭の運動を起せばいい。いわば、内閣に対しもっと寛容であるべきだ。処が日本は、新しい内閣が出来るや、忽ちブチ壊しにかかる、政策も何にもあったものじゃない、ただ内閣をブチ倒す以外に何ものもない。どうしても頻繁に内閣が代る国は発展がない、フランス、伊太利然りだ。米国のように四年もの任期があれば落ちついてじっくり仕事が出来る。英国にしても一度信任した内閣は、少々面白くない事があっても、無暗に咎め立てはしない、落着いてじっとみている、今の労働党内閣をみても判る。そればかりではない、日本は一々内閣が変る度に、地方官の末までも更迭する、之では落ついて仕事が出来ない、始終、腰が浮いている、折角慣れてこれから本当の仕事をしようとする時はもう代っている。私は先ず、此事の大改革が根本だ』
傍にいた某新聞社長『僕が思うのは、先ず議員の任期を三年位にして解散なしとするのがいいな』
新人の登場を望む
客『吉田内閣は勤労階級に冷淡と思う。首相は大磯にばかり引込んでいるが、もっと中央へ頻繁に出た方がいいと思う』
私『そういう点は確かにある、何となく貴族的だ。それは旧政治家の型がまだ残っているのではないか、どうしてもこれからは、新人が出なくてはいけないと思ふ』
客『自分も同感だ、旧人は殆んどパージにかかっているし、そうでないのは旧式でもある。これからは四十才前後位の新人が出るべきだ』
私『あなたなんかは、新人の出る舞台を作る役ですね』
客『自分もそう思ふ、先づ年寄りが地均しをしてやるんだね』
私『勿論、新人で、而も、腹が大きくなくてはいけない。これからは国家的民族的では駄目だ、世界的でなくてはいけないと思ふ。つまり、アメリカで唱える世界国家が目標だ』
傍らにいた記者『社長の意見と同じですね。社長も以前から世界主義的で、此点先生と一致している』
理想は一致する
客『ヤァーワシも同じだよ。お互ひ意見が一致したとすれば、これから時々会合して世界国家建設に努力したいと思ふ』
私『それが、吾々が常にいふ、病貧争絶無の地上天国ですよ。つまり根本は病をなくす事だが、現代医学は大変な間違ひをやっている。先づ之の啓蒙だ、私は今『全世界医学者に訴ふ』という論文をかいて、全世界の大学や学界に問うべく執筆中である。勿論英独仏の三国語で、目的は、全世界医学の革命にある』
客『自分では、未まだ先生の医学は知らないが追々研究してみよう』
共産党は焦っている 此対談中共産党の話が出たが
私『私は今後の政党は左翼とか右翼とか、いうように局限されたのはもう駄目だ、争いの為に肝腎ないい政治が出来ない。私は斯う思う、保守も共産も社会主義も何何主義でも全部包含した、世界的輪郭の新しい政党が出来なければならない。それが一体となって国民を指導する、だから私の宗教はどんな主義でも溶込むようにしている。共産党も、最近焦りが出て来たから山は見えている、凡ゆるものは焦りが出てはもう駄目だ、落着かなくてはいけない、果報は寝て待てだ、焦れば無理が出る、それで失敗する。芦田などがいい見本だ』
公明な政治献金を
客『吾々の連中はみんな金儲けが下手でいつも困っている』
私『それは結構だ、金儲けのうまい人が小菅行となったのだ。私は思うが、政治献金も、公明正大にやったら差支えないと思う。処がそれには些かも利権などの交換条件がない事だ。然し日本にはそういう金持は先ず絶無だ、今迄は利権が目的だから秘密にする、犯罪を生むという訳だが、といって政治家は或程度の金は必要だから、国民中金のある人は此政党なら確かに良い政治をやるという意味で、公然と献金するという人が出るような社会を先づ造るんですね。米国などはそういう訳で、良い政治家が出るのだ。も一つ肝腎な事は、政治家に宗教心がなければ之からは駄目だ、マッカーサーにしろトルーマンにしろ、熱心なクリスチャンという事だ、私もそれを目的としている。宗教心ある立派な政治家を作りたいのが理想である』
客、社長、記者、声を揃えて『今晩は斯ういふ集りをして非常に良かった。又時々意見を交換しましょう』といって解散した
(光新聞二十四号 昭和二十四年八月二十七日)