或日の対談 (光新聞八号)

つい最近の某日、某氏が訪ねて来た、其人は宗教と当局との中間の位置にある-あまり類のない役目をしてゐる人であった、其時の問答をありのまま書いてみると

彼「今日お訪ねしたのは、実は犯罪取締方面の上役の人から依頼されたのであるが、近来非常に犯罪が殖えて来た。何とかしなければ、此儘では国家の前途が危ぶまれるといふ訳で種々協議の結果どうしても宗教の力に依るより方法がないから、宗教方面に呼びかけ大いに助力を乞ひたい。との事で、此際貴教団に於ても何かお守りのようなものを出して戴いて、当局の直接の指導者に掛けさしたらどんなものだらう」

僕「そう簡単に理屈通りには行かないから考えてみるが宗教も沢山ある今日外の宗教へも呼びかけたのか」

彼「勿論、これはと思ふような宗教に当ってみたが、どれもこれもさっぱり熱がないので期待はかけられないと思ふ」

僕「そんなおかしな話はないじゃないか、斯かる問題こそ宗教の独壇場である以上、進んで引受けるべきではないか」

彼「自分もそう思ふが、実に不思議に堪えない、どういふ理由でせうか」

僕「それははっきり判ってゐる、どういふ訳も何もない。人心を善導するような力は最早日本の既成宗教にはないので、それを知ってゐるからだと思ふ」

彼「成程判りました、又近日伺ひますから、お考えおき願ひます」----と言って彼は去ったのである

(光八号 昭和二十四年五月八日)