ある日の対話 (光新聞七号)

彼「貴教会の急激な発展の為、世間ではあんまり騒ぐので、当局も大分調査してゐる ような話を聞くが、別に御心配はないですか」

僕「お説の通り、本教発展の為恐怖を感ずるもの、嫉視する者、為にする者等が入混り種々の不正手段を用ゐ、当局を動かそうとしてゐる事はよく判ってゐる。之は新宗教には必ずつきもので、キリスト、ムハメッド等の大聖者を初め日本に於ても法然、親鸞、日蓮等の例をみても明かである。ただ釈尊だけそれがなかったのは皇太子といふ地位の為であった。然し文化の進んだ今日は寧ろ迫害といふ程の峻烈な圧迫がない事は有難い時世と思ふ位である。本教が大いに問題の焦点となってゐる事はそれだけ本教が大宗教である事を如実に物語ってゐるといふべきだ」

彼「最近○○聯合会大会の席上、本教が話題に上り、本教の急激な発展は現当利益が著るしいからだといふ事に帰し、何故に利益が顕著であるかを調査する事に一決したが、貴下はどう思ふ」

僕「それは結構でもあり、結構でないかも知れない。何とならば右の結果として自分の宗教を捨てるといふ危険があるからである。之に就て本教に聊かでも疑念がある人士は徹底的に調査されん事を希望してやまない。それによって本教の正しさと日本再建に当って如何に有要な存在であるかを認識され得るからである」

彼「よく判りました」と言って帰った

(光新聞七号 昭和二十四年四月三十日)