森羅万象 火、水、土

本療法は「浄霊」といふ事になっていますが、別な言葉でいへば「霊医術」又は「日本式治療法」又は「浄血療法」とも言へるのであります。何故そういふ医術が生れたかといふ事からお話致します。其前先づ、今日の重なる医術療法を一瞥してみませう。医術としては、今日迄世に行はれた処のものは、漢方医学が最初で、次に「西洋医学」が渡来し、現在に到ったのは、何人も知る処であります。

抑々、森羅万象一切のものは「日月地」が根本であって、即ち「火水土」の性能を享けており、一物たりとも之に外れてゐるものはないのであります。従而、医術と雖も、此三つの系体がチャンと当嵌ってゐるのであります。之を記(カ)いてみますと-漢方 土の医術 西洋 月の医術 日本 日の医術-斯ういふ理であります。然るに、本療法は、右の三項目中「日本医術」即ち「日の医術」に相応するのであります。それで、今日迄は「月」と「土」の二つの医術のみでありましたが、愈々「日」の医術が創始される時となったのであります。漢医法は-「土の医術」で、「胃を基本」としますから、「土から生れた-草根木皮」を薬とし、「食養生」との二つで治さうとするのであります。即ち「土」は「物質の生産者」であり、「胃」は「物質専門の機関」で、実によく、相応してゐるのであります。西洋医学は- 「月の医術」で、即ち「夜」に相応し、「肺を基本」にしたものでありますから、「肺疾患」に、最も、関心を有ってをり、それが為に「空気」に重点を置いてゐる事は、御承知の通りであります。そこで、今度生れる- 日本医術-即ち本療法は-「日の医術」で「昼」に相応し、今迄の医術で閑却され勝ちであった“心臓を基本”として成った医術で、「霊気」を主としたものであります。

分界的にいふと、左の様になります。
胃 土 現実界 物質である現象は土の性
肺 月 空気界 水精である空気は冷の性
心 日 精霊界 火精である精霊は熱の性
「日 月 土」を、人間の精神的性能に当はめてみれば、一番よく解るのであります。それは太陽が一番上になり、その次が月であります。ちょうど「経の三段」になってゐるのであります。それですから、どうしても、「月の西洋」「土の漢方」の医術の上に「日の医術」が加はらなければならない道理であります。之によって初めて「完全な医術が出来て病無き世界が実現される」と思ふのであります。
次に、今一層徹底してみますと-鈍重 土 理智 月 情熱 日-となるのであります。
土の医術(漢方)は-、独善的で、経験を主とし、余り研究や理論に重きを置かず、専ら伝法固守であります。
月の医術(西洋)は-理性本位で、学理が基調となって、科学的研究は、非常に発達してゐるが、実際的方面は第二義的であります。
日の医術(日本)は-心精的で、精神力を主とし、根源抜除的で、飽迄霊的であります。

空気の構成は、酸素、水素、窒素となっておりますが、実は「水素」が主体であります。
土 物 窒素
月 気 水素
日 霊 火素(酸素)
骨、筋、肉、皮等の物質体は-「現象界」に呼吸し、それと同一の形態である-水素質のヱーテル体が、「空気界」に呼吸し、又、それと同じ精霊体が、-「精霊界」に呼吸してゐるのであります。故に、右の理によって「病気の根本」は其精霊体にあるのであるから、「精霊体そのものの病」を治さなければ、肉体の病気は絶対に治らないのであります。然るに、今日迄の精霊界は「月素」が多分で「日の霊気」即ち「火素」が欠乏してゐた。言葉を換へれば、光と熱が少く、夜に相応してゐた。それが為に「病気の発生」が多かったのであります。何となれば、その病気発生の根源は有形無形の罪穢の堆積-であるからであります。そうして、その罪穢とは、人間が悪に染まるからで、それが一種の曇となって、人間の精霊体に積るのであります。そうして、夜の暗さは、どうしても、悪の発生に、都合がよいのは、申す迄もありません。

然るに、此病気の本源である、曇、それを人体の自然浄化作用、払拭しようとする、その苦痛が病気であり、その曇が多量過ぎて、肉体が浄化作用に堪えられぬ場合、若しくは、誤れる治療によって浄化作用が遅延し其為の衰弱の結果が、死を免れない事になるのであります。 人間の精霊は精霊界に属してゐるのは前述の通りでありますが、精霊の中心に心があり、心の中心に魂があるのであり、殆んど之は、求心的に三段になってゐるのであります。したがって、其中心に位する魂は健康に重大な関係があるのであります。しかしながら、人間は肉体を有ってゐる以上霊気ばかりといふ訳にもゆかないので、火の霊と水の霊と物質との-三位一体が完全に調和活動して、真の健康と長寿を得らるゝのであります。

人体の構成はヤハリ「火、水、土」の三原素から成っております。
地 土……筋、骨、肉、皮-等に相応する
月 水……血液、漿液等(水分は人間の身体の約七割に当るといふ)
日 火……精霊体
血液は、赤血と白血とに成っております。赤血は「日の霊素」から成り、白血は「月の霊素」から成っております。赤血が速く流れるのが、動脈で、白血が緩かに流れるのが静脈であります。之は、健康時の状態であります。
病気になると、「月の霊素」は「膿汁」と化し、「日の霊素」は「毒血」に化するんであります。

次に、胃と肺と心臓との関係を検討してみますと今日迄のあらゆる医術では「月と土」に相応する関係上「胃と肺」に関しては、相当に研究されて来たが『心臓』の事は、あまり徹底されなかったやうであります。今日迄の解釈でゆくと-肺臓の呼吸運動によって、血液は浄化され、それが心臓に還元するとされてゐますが、吾々の解釈によりますと、血液の浄化は「肺と心臓との共同作業」であります。それは、如何なる訳かといひますと、心臓は「火の霊素」を以て「血液中の汚素」を燃焼し、肺は、それの灰ともいふべき残渣を、洗浄する-それによって血液は浄化されるのでありますが、その「火水の浄化」の為に生ずる最後の汚濁、それの堆積も、病原としての、最大要素となるであります。之を例へていへば、地上の汚濁は、日光で消毒し、雨水で洗ひ浄めるのと同一の意味であります。

茲で、火と水の性質を説明する必要があります。元来「火は水によって燃え、水は火によって動く」のであります。ツマリ、火は、水分があるから燃える時間があるので、全然水分が無かったなら、一瞬に爆発してしもふのであります。又、水は、火の熱が無かったなら、それは氷であって、流動する事は全然不可能でありませう。水を火で温めるに従って、熱し沸き-動力が起るのであります。又ガソリンも水であり石炭も木炭も水分があるから持続的に燃えて火力を生ずるのであります。又、水力電気の水の圧力も、熱によって流動するからであり、草木の化育繁茂するのも「火と水」とによって“生活力”が起るからであります。右の理によって「心臓と肺の関係」は火と水であるから心臓に火力が強ければ、水である肺の活動が旺盛になり、肺に水分が多ければ火である心臓の活動が強盛になるのであります。

心臓は「精霊界」から霊素(太陽熱である火素)を断えず「鼓動」によって吸収してをり、肺臓は「空気界」から、気素(太陰冷である水素)を、断えず「呼吸」によって吸収してをり、胃は「物質界」から「食物」(物質である土素)を供給されております。吾々は之を“内臓の三位一体”といっております。心臓が旺んに火素を吸収する事によって、愛の情動が旺盛になるので、その愛情の強盛によって、憎み、嫉み、怨み等の争の根源が無くなるから、茲に平和が生れるのであります。然るに、今日迄は外来的理性文化の影響によって、火素とは反対の「月の冷素」の方を多く吸収する関係上、どうしても愛の情動が稀薄になり、それが争や戦争、病気等の原因となったと思ふのであります。又科学は、学理から成ったものであるから、どうしても理性に偏るもので、之等も愛の情動を稀薄ならしめる-有力な原因で、其結果どうしても個人主義に傾き、人類社会は如何にも冷たかったのであります。事実、肺患者は利己愛の強い人が多いのは、此理に由るのであります。近来、外来文化等の影響により、火の霊素即ち日本精神が欠乏する事によって肺の弱い者が多くなったのも当然な訳であります。今日迄は「心臓の働き」が判らなかったといふのは、日本精神が眠ってゐたからであると思ひます。私が多くの肺患者を取扱った実験上、どうも西洋思想つまり科学崇拝者が多いのであります。彼の反日本精神ともいふべき共産主義者に肺患の多い事実は此消息を如実に物語ってゐると思ふのであります。右のやうな訳ですから、どうしても火の霊素を多く吸収する事が肝要であります。其結果心臓は活発になるから、肺が健全になり、胃の活動も旺盛になるんであります。

すべて光といふものは何であるかといふと、それは「火と水の密合したもの」であります。空気でも「陰電子と陽電子との密合」によって光を発生するそれと同じ訳であります。
日の光と月の光は何故異ふかといふと、日光は火が主で、表面で、水が従で陰即ち裏面に在り、月光は、水が主で、表面をなし、火が従で陰即ち、裏にあるのであります。月は、氷結の如き冷塊で、背後から「太陽の光」が映って光り、太陽は常に燃焼してゐる“火の塊”で、背後に「月の水」が映って光るのであります。故に、両方反対で、一方は陽、一方は陰、即ち「昼と夜」との区別が生ずるのであります。

面白い事には、火は経に燃え、水は緯に流れる。「経と緯」との性能を有ってゐる。このやうな反対のものが結ばれて「活力」が生ずるのであります。火と水とは、放ればなれでは、全然活動がないのであります。人間の夫婦もその道理で、夫婦結合し、協力し、活動が起り、子を産み、事業を営み、人類社会を無限に進化発展させるのであります。

日本式医術(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)
人体の構成(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)
内臓の三位一体(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)

第一篇 森羅万象の構成

凡そ、天地一切有りと凡ゆる物の原素としては、大別して、私は三つに別けます。その三つは何かといふと、火と水と土であります。如何なる物と雖も、火と水と土に関りのないものは決して在るはづがない。否、火と水土それ自体が此宇宙であり、万物の実体であるのであります。そうして、火水土そのものの中心即ち根源は何であるか、申す迄もなく、火は太陽であり、水は月球であり、土は地球であります。そうして、此火水土を経と緯とからみますと、経は日月地-即ち太陽が一番上で、中間に月球があり、一番下に地球があります。之は日蝕の時に天を仰げばそういふやうになってゐます。太陽面を中間の月球が隠す-といふ現象がよく証明しております。
次に、緯は如何であるかといふと、之は経のやうに段階的ではなく、全体的密合であって、火と水と物質それ自体が一つの存在になってゐるのであります。例へていへば、此空間そのものは、火と水の調和であります。即ち、火の熱と水の霊と密合調和して、生物の存在生活し得らるるやうに出来てゐるのであります。若し、火ばかりであればそれは一瞬にして爆発し、否爆発も起らないで、無の世界になって了ふのであり、水そのものばかりとすれば、氷結の塊が存在し、それ以外は「無の世界」になるのであります。
此理をもっと解り易くいへば、火の燃ゆるといふ事は水気があるからで、水気が無ければ、火は燃えず、恰度真空の中で火を燃そうとするが如きものであります。又、水の流れ、雲の動き、水蒸気等の動的現象は火の熱に因るので、火気が無ければ氷結の塊となる丈であります。(医学試稿 昭和十四年)

三原素

前項に述べた如く、吾々の住む此地球上の凡ゆる生成化育の本源が、火水土の密合調和であるとすれば、それ等の作用が万物に対し、どういふ風になるかといふ事を説明してみませう。
現代人は、科学の進歩によって大抵のものは一応解決されたやうに思ってゐる。然し、それは大いなる謬りと自惚であって、未だ未だほんの一部だけの解明に過ぎないのではないかと思ふのであります。今私がいはんとする原理は、今日迄の科学も哲学も全然夢想だもしなかった事によってみても、諸君は肯るるであらうと思ひます。
現代科学に於ては、此地上には、空気と物質との二つの原素より判っておらない。勿論、近代科学の誇りとする電波も、空気に含まれてる一の原素としてゐるのであります。然るに私は、此二原素の外に、今一つの原素がある事を発見したのであります。それは何であるかといふと、強ひて名を付ければ、空気に対して霊気とでもいふべく、故に、此霊気の名を以て説明してゆかふと思ふのであります。然らば霊気とは何ぞや、之を別の言葉でいへば、火気又は火素であります。元来空気なる物は水素が主であるに対して、霊気は火素が主であります。今日迄水素なる言葉はあったが、火素なる言葉は無かったのは不思議であります。然し乍ら何故火素なる言葉、否、火素が発見され得なかったかといふ事は、空気は物質化する事が出来、機械によって測定し得られたのであるが、それと反対に霊気の方は物質化したり、器械によって測定する事は不可能であったからであります。然し何れは、停止する事を知らない科学の進歩は、霊気の存在を識る方法が発見さるるといふ事は、疑ふ余地は無いのであります。(医学試稿 昭和十四年)

内臓の三位一体と心臓の重要性

内臓の三位一体とは心臓、肺臓、胃を指して謂ふのである。此機関こそ全内臓中の基本であると言っても可いので、最重要な役目を果してゐるのである。
今日迄の凡ゆる医術は、胃と肺臓に関しては相当研究もされ、其活動へ対しての認識も稍々成ってはゐるが、独り心臓に至っては全く不明であると言っても可い状態である。然るに実際は、此三臓器中、心臓が最重要な機関である。医家が死の直接原因を、心臓麻痺といふにみても識るべきである。斯様に最重要である心臓の器能活動が判明しなくては、真の治療は確立される筈がないのである。
現代医学は、肺臓の呼吸運動に依って血液を浄化し、それを心臓に送ると言ひ、血液浄化の法として、清澄なる空気を呼吸せしめんとし、大いに転地療法を奨めるのである。又、飲食物を重要視して、営養と消化の研究には、最大努力を払ってゐるのである。斯様に、肺と胃に対しての、器能活動の研究には、絶えず努力しつつあるに係はらず、独り心臓に対しては、あまり研究をしないやうである。之は寔に不思議であって、全く心臓なるものの器能の本体が、把握出来ないと諦めた結果であらふか。私の研究によれば、此三臓器中心臓の其活動こそ、人間の健康の基本であると言っても可いので、此心臓の不明である限り、治療法と健康法は決して解決されない事を、私は断言するのである。
然らば、最重要たる心臓の活動の本質は何であるか、鼓動は何であるかを、詳説してみやふ。肺臓が一分間何十といふ呼吸運動をしてゐるのは、今日の医学で説明が付くとしても、心臓の鼓動に就ては何の為であるかを説明し得ないのである。例えば、肺患者が転地して、新鮮な空気を吸ひ、胃には充分なる営養を摂取しても、容易に治らないのは何の為であるか。又、海岸居住者にして肺結核に罹病する者が尠なからずあるといふ事は、如何なる理由に由るのであるか。之等に就ても現代医学は、未だ説明が出来ないのである。之は全く心臓の器能が不明であるからである。 此事の説明に対しては最初に、此地球の現象界の組織から説いてゆかねばならない。我々が住んでゐる此地上の構成は何であるかと言ふと、それは、三つの元素界から成立ってゐる。一、霊界、二、空気の世界、三、物質世界である。然るに、今日迄の発見では、空気の世界と、物質界の二つのみであって、最重要なる霊界は未だ発見されてゐないのである。此三段の組織を称して、仏語では、三千世界、又は三界と謂ってゐるのである。
此三段階の元素を説明してみれば、第一の霊界とは、空気より一層稀薄にして、今日の科学では、之を測定すべき方法がない霊素ともいふべきものである。然し、最近の科学に於て発見せる電子、陽子、中性子、核等の研究は、此霊界に一歩突入したのであるから、何れは霊界の実在を認識する迄に到るであらふ事は、信じ得らるるのである。唯私の説は、科学よりも一歩先へ前進してゐるだけである。
而して、霊界は火素を主とする太陽霊であり、空気界は水素を主とする太陰霊であり、物質界は土素を主とする物質原素である。此関係が認識出来得れば心、肺、胃の器能も判明さるるのである。
即ち、心臓は火素を即ち霊気を呼吸しつつあるので、それが鼓動である。肺臓は水素即ち空気を吸収しつつあるので、それが呼吸である。胃は土素から成る食物を吸収しつつあるので、それが伸縮運動である。肺と胃の活動は、説明を略して、心臓を主として説明をしてみよふ。
本来血液は、霊の物質化であるといふ事は既に述べてある通りで、此人体生命のヱネルギーである血液を、不断に活動させつつ、猶浄化の工作をなす其力こそ火素である。そうして心臓は絶えず此火素、一名霊素を吸収しつつあるが、空気にも清濁ある如く、此霊界にも大いにそれがあるのである。故に、此霊界に於ての清浄といふ所は、霊素が充ちてゐるのであり、それは、光と熱との量積が、多分に在るといふ事である。然るに此霊素が稀薄である所は、反対に汚素が多分に在るのである。汚素とは一種の霊的曇である。別言すれば、霊界に於て、霊素の濃度なる所は、晴天の如き明るさを感じ、霊素の稀薄なる所は、曇り日の如き陰欝を感ずるものである。然らば、霊素、汚素の多少は如何なる原因かといふと、霊素の多い条件としては、正しき神霊を奉斎する事であり、又善に属する行為と言葉に由るのであって、汚素の原因としては、右と反対に邪神や狐狸の霊を奉斎し、又は、悪に属する行為と言葉を発するが故である。故に、此理に由って心臓の活動を旺盛にし、其結果たる血液を浄化せんと欲せば、前者の方法を実行すれば良いのであって、そうすればする程、健康を増し、不幸は解決するのである。然るに、現在大部分の宗教は、光と熱を霊射する正神が少なく、大抵は暗黒に相応する邪神が多いのと、而も、人間の行為と言葉が、悪に属する方が多いから、霊界は曇るばかりであって、全く無明地獄である。従而、此所に棲息する人間は、此曇れる汚素を常に心臓が吸収するから心臓は弱り、心臓が弱るから、愛の情動が稀薄になるのである。現代の人間に愛が乏しく、滔々として稀薄になるのは、実に此理に由るからである。
然し乍ら、此暗黒界に愈々大いなる光と熱の、無限の供給者たる光明如来、即ち観世音菩薩が救世之光となって出現されたのであるから、此御神体を奉斎する時、無量に其火素、即ち、光と熱を放射され給ふので、其家の霊界は、漸次曇が消滅して明るくなるのである。其結果、其所に住する人間の心臓は、火素の潤沢に由て活動力が旺盛になるから、愛が湧起するのである。其結果は争が無くなり、血液も浄化するから、健康となるのである。右の如く、愛と健康を以て、業務に従事する以上、繁盛と栄達は当然の帰結であって貧は無くなる。病貧争絶無の根原は、之に依ても瞭らかであらふ。
茲で、今一つの基本的解説をする必要がある。それは、火と水との性能本質である。元来、火は水に依て燃え、水は火に依て流動するのである。設(モ)し、火を起すべき燃焼物に、全然水が無かったら、火は燃ゆる時間がなく、一瞬に爆発して了ふ。又、水に火の影響が全然無ければ、凍結の儘である。火の熱に因て解溶するから、流動するのであって、尚進んで蒸気となり、動力発生となるのである。 本来、肺臓は水の性能である。空気は、酸素、窒素等の原素はあるが、実は、水素が主である。故に、肺臓は主として空気、即ち水素吸収機関であるから、冷性であり、理性の発電所である。それと反対に、心臓は、火の性能が本質であるから、神霊界の火素(霊素)を吸収しつつあり、熱性であるから、愛と感情の根源である。故に、肺臓の水性を活動させんとするには、心臓の活動に由って、熱素を充分供給しなくてはならない。故に、肺臓の活動が鈍いのは、心臓の愛の熱が少い為であるから、肺患治療に対しては、心臓へ火素を、より吸収させる事である。心臓へ火素を潤沢に与えんとすれば、其住する霊界を清浄にするより外なく、それは、正しき神霊を奉斎する一事である。
此理に由って、心臓を強め、心臓病を治癒するには、清浄なる空気を肺臓に与ふれば可いので、そうすれば肺臓の水性が活動するから、心臓の火性を揺り動かす事によって、心臓は健康になるのである。
故に、近来肺患者の激増の原因は、各人の心臓の衰弱が原因である。それは、二つの理由がある。一は前述の霊界の曇の濃度、即ち、邪神狐狸の奉斎と、悪の行為言葉に由る影響の為と、今一つは西洋思想である。
元来、西洋思想は、科学を基本として成った関係上、理論偏重である。その結果として冷性になり、愛の情動が稀薄になるからである。肺患者は理性の勝った者が多いので、薄情になりがちである。利己的であって、利他愛が少い傾向を帯びてゐるのは、争えない事実である。
又、心臓患者は此反対であって、感情に走り易く、激怒し易いのであるが、近来、実際の心臓病患者は、洵に少いのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

此治療の原理を理解するには、森羅万象の活動とか生成化育-そういふ事から出発してゆかなくてはならぬ。その根本は霊や霊界の事を認識しなくては分らぬ。たゞ目に見えぬので始末がわるいが、説けばそうなくてはならぬ事が分る訳である。
一切三原素の根本は霊界で、一切のものは霊がある。生物-人間とか動物とか、生きたものの霊は精霊といふ。無生機物は単に霊といふ凡ゆる生物は、霊界に於て最初に発生する。例へば、人は自己の行かんとする所へ先に霊が行く、但し全部はゆかぬ、全部行けば死ぬ。霊はいくつにでも分れるものである。神様は方々へ祭ってあるが、之は御分霊を祭ったもの。今家を建てんとするに、その人の意志通り霊界に建築してしまふ。独伊と英仏と睨み合ってるが、これも霊界ではすでに戦ってゐる。日本とロシヤも霊界では戦ってゐる。故に、凡ゆるものは霊界が元なり、霊界の性質は火の性質、熱の世界、この中心は太陽、太陽の精(性)、霊又は霊気、或は精気。水が主でその中心は月球。森羅万象又土より生る、死ねば土になる-土の世界。霊界の火を火素、空気の水を水素と便称す。
人間は何の為生れさせられてゐるか、私の信念として、地球上の支配者即ち神が或目的の為に人間を使って仕事(といふと安っぽくなるが)-否、経綸すると解する。も一そう徹底していへば、神の目的は何か-理想世界(完全なる世界)を造る事、字に表はせば真善美の世界を作る為、人間を生ませ働かせると解釈出来る。どうしてそういふ解釈するかといへば、歴史を顧みればそういふ風になってゐる。例へば吾々が知る限りの原始時代と今日を比ぶれば、その時代は人と人とが殺し合ひ、奪ひ合ってゐたのが、今日は法律によってそれが出来なくなった。或は木の皮や動物の皮を着たのが、今は色や光沢のついたその時代より想像もつかぬ美しい織物を着てゐる。家屋でも丸太で犬小屋のやうなもの、否それより穴居時代は土に穴を掘って住んでゐた。よく地方へゆくと遺跡があるが、もぐらかおけらのやうな生活をしたものであるが、それが今は立派な家屋に住むやうになった。
これがもっと進むと社会はもっと道徳が進み、着るものも住居も立派になり、凡ゆる組織が発達してくると、どうしても戦争も出来なくなる。戦争などは未だ原始時代の遺物と思ふ。
人間が殺し合ふのも動物的の行り方で、之も今日迄はやむを得ぬ。そうしなければ理想世界は出来なかった。人間は何の為に生れたか、神の大目的の為働く分子として生れたに違ひない。故に、神の大目的として働くのが本来の使命であり、人間の生命とは、命は命令の命の字であり、人間のイノチは何かに命ぜられてゐる意味を表はしたものと思ふ。死とは命令の解除である。例へば着物は人間が着る目的で着たもの故、人間が着てやればそれで着物の使命は達してゐる訳である。所がそういう風に出来た人間は何故病気をするか。丁度着物が汚れれば洗濯しなければならぬ。そのクリーニングが病気である。故に病気がなくては生きてゐられぬ。生きてる間には、丁度着物が汚れたり、家が汚れたり、庭の木の葉が繁って高く眺望を妨げるやうになったやうな理屈になる。その汚れが溜ったまゝになるから、その大掃除をするといふ作用が自然に起る。その作用が病気である。
熱-火でやく、痰、小便、糞等は、焼粕を水で洗って流す。これがとんでもなく間違った。その掃除する作用を壊す作用と間違へた。丁度、家や部屋がゴミだらけ故、はたきで叩き、箒で掃いたりしてゐると、それはあの家を壊し始めたと間違へた。これはいかぬと折角掃除してゐる人を撲る理屈になる。之が病気多生の根本である。
私が偉い訳ではないが、先づ之を知った。私が神からの働く分子としてそういふ事を知った。知らされたといふか、知るべくしむけられたか、兎に角知ると共に、溜ったゴミの掃除を恐ろしく速く、スピードを以て出来る方法を会得した訳である。 第一浄化の時は苦痛なく、第二浄化の際病苦がある。凡ゆるものは固る性質がある。木の葉でも土でも化石する。故に人間の腹中の膿でも固まる、固まると腸の活動が出来ない。それで溶解の熱が出る。熱は凡ゆる物を溶かす作用がある。金でもプラチナでも熱でとける。とけたものは穴へ穴へと突進して排除さる。盲腸の自然治癒は、膿がとけ腹の中心へ行って肛門の近くへ行って治る。故にお腹がかき廻すやうに痛む。淋巴腺は毒が溜り易い。之はいろいろな造作は顔と頭に一番多い。故にその位置にある。後頭部や頸部の周りに膿がたまると頭が痛む。風邪を引くとこれがとれて頭へ血が殖え働きよくなる。肺炎で死ぬのは、肺の痰が多量にて肺下部に溜る。肺炎を湿布などにて固めるため痰が出ず呼吸困難となり、心臓を圧迫して死ぬのである。心臓麻痺は心臓が火素を吸はなくなるからである。
人間の体は、霊体(火の体)気体(水の体)肉体(土の体)と分けてもいい。心、肺、胃は根本で、他の機能は枝である。全体は心臓が支配してる。故に死は心臓が止まって死ぬとされる、肺や胃が止まっては死なぬ。
世界中の国々は、それぞれ何分の一かの宇宙構成の物質の国が皆型になってゐる。太陽を国にすると日本になる。文化的素質よき日本の国は世界に隠れてゐた。
昼の世界が何千年か経つと、又夜になり、日本は引込むかもしれない。夜の世界では霊気の世界は無視され、空気の世界が支配した。夜の医学でははっきり物が分らぬ。
昼は光と熱が充満する故、それによって人間の霊体を浄化出来る。此治療は維新前あたりに出れば出来ない。火素が足りないからである。夜のものは自然消滅し、日本文明にとってかはる時が来る。故にだんだん日本の優れたものが出来る。今度の戦でも凡ゆるものが日本のものが一番優秀なものが出来る事となる。
指から光線とも霊気ともいへるものが出る。キューリーのラヂュウムとは段違ひで、秀れてる人体ラヂュウム、私は人間の身体より曇を解消すべきすばらしいラヂュウムを出す方法を発見した訳である。その出す方法と出る方法を観音様から多くの人を救ふ為に発見せしめられた。治療の根本原理はそこにある。治療に力を入れると押す方へ体の力が加はるからいけない、軽くやると精神力が強くなってラヂュウムの出がよい訳である。内部を溶かすつもりでする、五分なら五分、一寸なら一寸奥へとどくやう心をこめると深く入る。吹くといいが、之は患者が気持悪がるからやらない。指はどの指からでも出るが、特に三本が一番よく、特に拇指から一番ラヂュウムが出る。曲がると出が悪くなるから、指でも腕でも真直伸してやる。中腰になって押す等不可で、すべて直線的に精神を集注するとよく出るのである。精神集注は片手でやらなくてはいけない、両手は使はぬ。ラヂュウムを強くする力は観音様から下さる故、あまりに一生懸命にすると、それが止まるから軽い気持でやらねばならぬ。
自分は道具にすぎない。

頭が重いとか、痛い場合、この点(左右何れか)と額に熱あり。
こめかみを中心に霊を入れる。額が冷たくなって未だ熱がさめずば、左の肺尖部をする、幾度もするうちに溜らなくなって治る。
脳膜炎になると、目をつむり頭が割れるやうに痛む。額が火のやうにあつい。後の方は脳脊髄膜炎、後頭部へ棒のやうに塊まる。
精神病-頭の中心へ狐霊が憑く。狐と人間が結合した場合、獣の方は溶けず人間の霊がとけて獣の霊の如くなり、畜生道へおちる。
鼻のわるいのは大抵鼻孔のまわりに溜る。鼻の後の毒は鼻から出る。顔面神経麻痺は口の辺もする。涙の出て困る人は涙嚢をする。耳の遠いのは鼓膜の裏の塊。扁桃腺や淋巴腺は後から擦ると解け易い。風邪は後頭部両側どっちかをやれば必ず治る。
脳溢血-脳溢血の毒は身体の弱い人は脳へ昇らず身体へ、健康な人は頭へ行く傾向あり。喉頭結核で咳が出る場合あり。
胃は胃そのものがわるい事は滅多にない。腹の中心線をやる。胃癌は方々へ出来るが、大抵左が多い。
盗汗は熱でやき、水で洗ったもの、特に肺の附近の毒素には盗汗となるのが多い。 硬くなって死ぬのは毒が多い。
病気は一日おきに良くなったりわるくなったりする。薬を服んでる人は別だが、天気のわるい時は浄化が弱く、好い時は浄化が強い。

特別講習会御講話 (昭和十五年四月二日)

特別講習会御講話 (昭和十五年五月四日)

森羅万象は三つの原素から成立ってゐる。之に放れてゐるものは一つもない。
火、水、土の本体は、日、月、地なり。
今の学説では、星は太陽より上にあり、と唱ふれど、これは太陽より上の星は絶対ないので、月より下と月より上とある。
星には火の星と水の星とあり、水の星は青白く、六  水 となる。火の星は赤い、五  火 となる。
即ち、五六七は火と水と土といふ事になる。五六七は六六六となり、六が三つ故三六となる。このうちの一つが下へ行って、五六七といふ形になる。これは非常に神秘のある事である。即ち、一つが下へ行って土となった事は面白いが、今説明は出来ない。
緯の火水土は
霊--霊気 火
空--空気 水
現--物質 土
すべて物質は土から出て土に還元する。
吾々が住んでゐる全体が物、空、霊密合してゐる。経も緯も決して別々ではない、ピッタリ密合してる。物質の中に空気あり、空気に霊気あり、緯の働きになってゐる。緯の三段を人類は知らなかった。
火と水といっても、火のみでなく水のみでもない。火の中に水あり、水の中に火あり、たゞ水は水が主であり、火は火が主である。水は火なくば氷塊なり。氷がとけて初めて動く。故に、火と水はどっちも放れてゐないもので、共同作業である。
人間でいへば夫婦と同じ事、陰陽である。人類は夫婦があって持続してゆく。 空間の火と水(調和)といふものが、此治療に非常に関係がある。
昼--明
夜--暗
之も陰陽で火と水になる。
(火の場合)昼は火主水従
(水の場合)夜は水主火従 夜は月が出る。
月は氷塊である。昼は太陽が支配する。
人類は今迄緯の三段を知らなかった。それは夜だった故である。日がなかった、隠れてゐた。霊気の世界を知らなかった。
日本は明治以前迄鎖国を叫んだ。徳川の天下がなければ、フィリッピン等大いに海外発展してゐたものをといふ人がある。所が時期が昼になってゐないため絶対鎖国した。夜の時代故、国威を外国へ及ぼす事は出来なかった。これは天地自然の理だが、明治になってから自然に世界へ知れてきた。ペルリなど来て日本の存在を世界へ知らした。
これは夜の故で、昼になるとどうしても世界を照してゆかねばならぬ。日本の知られざりし如く、霊気の事は知られなかった。
人類は霊気の世界を知る事になる。私は極先んじて知った。
霊界は火が主
空気界は水が主
人間は三つの原素により成る。
肉体-現象-土(骨皮など)-三
水分に属するもの-水(医学では七十%ありといふ)-七
人間の霊-火(之がはっきり分らぬ)-十
故に人間は霊と体で生きてる。カラダに霊止まりてヒトになる。霊は肉体と同じ形。
肉体が使用に堪へなければ霊は脱ける法則になってる。サック壊れれば霊止まれぬ。例へば負傷して何升か出血すると、霊は肉体に止まる事が出来なくなる。
彼世(未来) 生死
-------↑--↓-- 死の関門
現世 死生
霊界はどこにあるか、吾々が呼吸してゐる所にこのまゝ霊界は存在する。今肉体が歩いてる時、霊体は霊界を歩いてゐる。故に、斯ういふ霊界にはいろんな霊がゐる。こんな話をせられてゐれば、霊界の霊は何万となく来て聞いてゐる。そして私の声を霊は聞いてゐる。中には聞けないのもゐる。諸士に憑ってその耳によって聞いてゐる。死の前知人に霊が別れに行く例がある如く、霊界に起ったのが現界へ従ふ。故に、霊界と人間の霊身は非常に重大なものである。故に、人間は始終霊界と現界を往き来してゐる。
霊界は大体浄化作用をする所、人間が現界でいろいろ罪をつくって曇が霊身に非常にたまる。あまり曇のひどいのは人間になれず畜生道へ行く。
再生 人間が人間に生る。
転生 人間以外のものから人間に生れる、畜生などより人間に生れ代る。人間は畜生のやうな心行をもつと、それ相応におつる。猫、犬、鳥など、スパイや探偵など犬に、だませば狐。獣は苦しむから罪がゆるされる。そして人間に生れる。これを転生といふ。
現界の死は霊界で誕生といふ。極楽へ行く霊は誕生祝をする。
楽を奏し、花の咲いてる所へ皆で迎へる。これはよい往生する人などがみる。綺麗な着物をきて、音楽を奏し、大勢の人が駕篭や御輿をもって迎へに来る。そしてそれにのせ、かついで行く。
霊は無限に新しい霊が出来てる。
神仏を信ずるといふ霊は古く、神代の時代に何度か生れた霊である。神は普通の人間の形をして素晴しい不思議な力をもってゐた。そういふ記憶があるから信仰し得る。神といふものがなくなってから生れた霊は神の事が分らぬ、神の経験がないから分らぬ。信仰さす事が出来ぬ。一寸神の話をしてピンとくる人は、神の経験があり、全然通じぬ人は其後に生れた新しい霊である。
どんな人でも罪を犯さぬ人はない。何もわるい事をしないといふ人も、どんなに罪を犯してるかしらぬ。キリスト教など、女をよしと思っただけで姦淫の罪を犯した事になるといふ。つまり心の罪だが、これは幾分か罪になって溜るが、一方で非常に良い事をすれば消せる。悪い事をしなくとも良い事をする人は少い。そういふのがなかなか曇となってたまる。そういふのは霊界で浄化される。
現界で執着のない人は霊界で速く浄化作用される。
二百年位霊界にゐなくては充分浄化は行はれぬ。
痛みは、-毒は一部へたまると共に固まる作用が起る。凡ゆるものは或程度固まると溶ける作用が必ず起る。
人間の霊体は大体光ってゐるもので、ボーッとしたやうな朧月夜のやうな光をもってゐるもので、その光が絶えず強くなったり弱くなったりするものである。善事を考へると光り、悪事を考へると曇る。丁度晴天と曇天の時のある如し。
霊体の一部に曇があると毒素があり、どす暗くなってる。自然なれば熱が出てとけ、下痢、嘔吐又は腫物等になって出る。痛みと熱は浄化の二大作用、これを光によりてとる場合、極濃い部分のみが残り、それは下痢などにて出れど、すでに毒素の力なく苦痛なく排除さる。
人間の霊体の光は、普通の人は一寸位出てるもので、病気になれば段々薄くなる。強い人は一尺も二尺もある。之は常人ではない。
曇生ずるは自動的と他動的とあり、自動的は罪による。体から曇る場合は薬剤。故に人間は元来病気がないのが原則で、病気は人間が作るものである。
毒素とは何か、霊的の罪穢から湧く。天然痘、尿毒、薬毒、此外にもあるが、大体三つと思へばいい。
天然痘-紅潮色の豆粒の如きもの簇出し、そこから膿が出て治るもの。結核なども、瘍、疔など大体天然痘の毒。
小便は水分の汚いもの、汚い物を水分にして出す働き、汚い物は大体毒素である。栄養にならぬもの、毒の処分機関。

食物の毒は腎臓で消せるが、服むべからざるものの毒は消せない。人間は薬を服むやうに出来てゐない。八、九消化すると一、二残って溜り、脊髄を通って頭へ行き、顔面、顎などへも行く故、尿毒といっても原因は薬毒である。故に、薬毒、天然痘、尿毒はそれぞれ混合してゐるのである。
圧して痛むのは薬毒、非常に痛いのは注射の毒、尿毒の痛みは激しくなく鈍痛が多い。総じて西洋の薬は強烈である。天然痘のはあまりに痛みはなく痒いのが多い。内部にある時は痛くも痒くもない。
治癒作用を病気といった。本当いふと病気はない、病むといふ事はない。
血液が循環すると共に霊も非常に活動してる。血液は奇麗の上にも奇麗でなくてはならぬ。奇麗なほど健康によく、又非常に朗かで元気横溢せるは血清らか、血が濁ると人間は元気がない。血清らかなれば循環早く、早ければ身体の活力の熱強く出る。故に寒くない。血の濃い人は身体重く、頭重い。血液奇麗になりつつ一とこへ毒が集り、それが固まりきる。それを出いいやうな薄さにする。それが白帯下、鼻汁、痰等である。化膿とは薄く出易くなる事である。出易い穴をとめるから出難い所から出んとする。
従来の療法は、病気の原因をとらず、治病作用をとる。その為先づ毒をのんだ。又服むと死ぬ薬を注射した。レントゲンでその部を殺して、その組織を破壊する。 蛋白とは腎臓のまわりに溜ったものが滲みて出る。人間の内臓はすべて滲みるやうに出来てゐる。蛋白は小便に混った膿である。浄化作用は九分九厘とめ得るが、全部はとめ得ない。嘘故結局は駄目になる。故に絶対に治らぬ。
夜の世界水素
昼の世界火素
昭和六年六月十五日より霊界、空間に火の分子が多くなる。火は太陽から放射されてくるもの-即ち火と熱である。人体の曇に光と熱を放射すればとれる、消す。 霊界に火素が多くなると浄化作用が旺盛になるといふ事は、人間の霊体の曇がとれるのと同じ訳である。
本療法をする程光が強くなり、毒の塊がある場合自分で治す活動が起る。故に一寸の毒も排除されんとし浄化は旺盛になる。近来結核増加の根本原因は此点にある。われわれの方はもっともっと旺盛にする。
霊界に火素が殖えた。それを集注する方法を発見した。そして私を通じて治療士に伝達する訳で、之が即ち観音力である。人類を救はれる恵みの力である。いくら観音様でも霊界が夜では出来ない。霊は霊界に属し、火素の世界に属してる。昼の世界に属してるからこういふ治療は生れた。今やうやく昼になりかけた所、昼になるにつれて益々治るやうになる。今に一寸手を触れただけで治る事になる。
治療法
先づ頸腺及び頭へ手を宛ててみると、どんな人でも必ず熱がある。擦るのに力を入れては不可、出来るだけ細かく何ケ所も、幾度もする。一ケの霊体を治療する気持、皮下一寸も二寸も奥を擦る気持でする。指も同様中の方へ放射する気持でする。 疫痢で目の吊上るのは極悪性で、疫痢の上に死霊が憑くのである。 執着がないと霊界に落付ける。執着が深いと浄化作用の中途で罪が未だ残ってゐるまゝ落付かず、生れるが罪が未だ残ってゐるから非常に不幸で、不具だとか心がゆがんでるとかして生れる。故に死ぬ時は現世に心を残さぬ方がよい。又死ぬ人の近親者は一時は悲しんでも、その悲しみを長く残してはいけない。何故かといふと、生きてる人の執着が影響して早く行く所へ行けぬ。故に悲しみは成可早く無くした方が、死んだ人の為によい。故に霊と体といふ事が非常に肝腎である。此療法を本当に知るには霊体の関係を知る事が根本である。

特別講習会御講話 (昭和十五年十一月九日)

此治療は今迄の歴史初まって以来ないといっていい位の治療で、極根本からお話しなくてはよく判らぬ。その為、まるで治療とは関りのないやうなお話、いはゞ宇宙の真諦とか、真理とかいった事が根本になってゐる。根本としては誰知らぬものもないが、日月地で、この三つが一切の根本になってる。

此治療の根本原理と世の中の動きと合って行くから、この話によって世の中の動きの根本もよく判る事になり大変いいと思ふ。今世の中が非常な速度で転換せんとしており、どうなって行くかさっぱり分らぬのが一般の状態ですが、それが大体見当がつく。此意味に於て、此治療の原理は非常に大きな意味がある訳である。昔から三位一体といふ事をいふ。この言葉は大体バイブルから出た言葉と思ふが、大変な意味のある事である。之は今話すと分るが、三つのものが一つになるといふ事である。一番大きな三つのものといふと、日月地である。
この三つのものが一つになるといふ事は、今日迄も変った事はないが、これから話せば成程と思はれる。この三つが根本になってる。
元素からいふと(性質からいふと)火水土となる。これは天地の構成で、経緯三段になってゐる。凡ゆる一切のものは、此三つによって作られ、火と水と土の元素の入ってないものは一つもない。一切は此火と水と土である。数からいふと五六七となる。

土は地を略したもの、ナルといふ数。
日、月、火、水、木、金、土。
吾々が日々使ってゐるものは七つしかない。これはキリストが言った、此地球は七日目に出来たと、それで七日目には休息するといふので日曜を造った。
種々な神道などの天地創造説によると、宇宙は水蒸気の如くモヤモヤ煙の如きものであったが、段々別れて軽いものは天となり、重いものはかたまって、その塊まったものが地球となったといふ。それで地球は造物主が造られた完成したもので、こゝに初めて生物が住む事が出来たのである。それで地は完成の数であり、七といふ数は意味がある。
緯は空間に火水土がある。空間は霊気と空気である。物質はすべて土から出来てゐて、土に還るものである。火と水と結合せる為、丁度よく生物の住み得る空間になってゐる。故に空間は火と水と混ったものとみていい。今迄空気は知ってゐたが霊気は知らなかった。この霊気が治療の根本である。
経の火水土、緯の火水土、この内火が主になってゐる。肉体は土と水。
凡ゆるものは皆そうである。火水土がピッタリと合ってる。故に経と緯に火と水と土になってる。これが一切の実体である。

治療する前に参考になる事をお話した方がいいと思ふ。此治療が霊的治療といふのは、大体人間の身体は霊と体と両方で成立ってゐるものである。体といふのは肉体、霊といふのは肉体と同じ霊体といふものである。手なら手の霊体の形がある。その証拠に手足が痛くて切る事があるが、それで痛みのなくなる訳だが、尚その先の方が痛む、手のある感じがする。これは切っても霊体はそのまゝあるからである。
物質の法則は科学では未だ解ってゐない。私の方では判ってゐる。霊が主で肉体が従、そういふ法則がある。之は私がこしらへたのではない、前からあるのである。たゞそれを知ると知らぬの差である。故に病気は霊の方を治さなければ絶対に治らぬ。霊の毒素又は膿をとれば、肉体はそれに追随して、霊体の汚いものをとると下痢になって排泄する。医学は霊を無視し、肉体だけとらうとするから治らぬ訳である。

然らば今迄凡ゆる偉人や学者が研究したに拘らず、病気は治らぬ。本当に治る方法がなかったのはどういふ訳か、病気とは一体何の為に起るか、何だかさっぱり分らぬ。私は病気の本体と如何なる病気も治るといふ事を発見創造したのである。この二つのものが最大眼目なんである。今迄は肝腎な事の発見が出来なかったから治らなかった。
天地の森羅万象は三つのもので出来てるが、今迄二つのものしか判らず、その為治せなかった。一二三とあれば、二と三は分ってゐたが一が判らぬ。所がその一でなければ病気は治らぬ。その一を私が発見したといふ訳である。知ってる人は知ってゐても、その一を生かす事が出来なかった。それを私が発見した。その一は即ち霊である。目にみえる凡ゆるものは霊と体で出来てゐる。霊と体で生きてるといふと生物ばかりのやうだが、そうでない。凡ゆるものがそうで、火鉢なら火鉢これも生きてゐる。生きてるから人間の用をなしてゐる。何年か経つと錆び朽ち、霊が抜ければくずれて形がなくなる。
動物の霊は精霊といふ字を使ひ、普通の物質のものは単に霊といふ。故に人間は精霊と肉体と両方のもので生きてゐる。精霊の中心は心-魂である。魂は目に見えぬ位小さい。今迄の療法は精霊を認めぬ。肉体だけをみて治そうとしてゐたやうなもので、丁度手を動かすのに、之を動かさぬやう外部から努力したやうなものである。実は心が手を動かしてゐるので、先づ心が手を動かさぬやうにすれば何でもない。本療法はその目に見えない心の方も治さうとする方法なのである。
人間の肉体は水と土で出来てゐる。何となれば人間の食物は水からとれたか土からとれたもので、それを食って生きてる。精霊は火であるから、結局人間は火水土で出来てる。凡ゆる物は火水土で出来てる。
今迄水素は発見されてるが、火素は発見されてゐない。こんな判り易い事が気がつかなかった。煙突や、ストーブを焚いても、あの熱いものは目にみえぬ。水は大体みえる。火素は一番判らなかった訳である。
霊界には火素と水素と両方あり、之が密合してる。霊界から火素をとれば熱がなくなり、すべては凍って了ふ。月の世界のやうになる。酸素は割合火素に近い。
人間の霊体は霊界にをり、水の部分は水素の方、空気の世界にをり、肉体は目に見える世界にをり、故に人間の体は火水土で、人間を支配せるものは火素即ち霊素である。これある故に生きてをり抜ければ死ぬのである。
霊体に汚れが溜れば病気になる。薬の毒が溜るといふが、薬の霊が霊体へ溜る。薬の霊は非常に毒素がある。それが霊を曇らすのである。霊の曇と相応した同じ物質が体へ溜る毒血なら毒血が溜ると、それだけの霊が霊体へ溜る。体の方の膿や血をとると、霊の方がとれるかといふとそうではない。それは一時的ですぐ又溜る。瀉血療法、蛭血療法などは霊の曇を無視してゐる。永遠の真理としては、病気を治すには霊の曇をとる以外にはない。機械や薬で霊の曇をとる事は出来ぬ。霊の膿をとれば薄い毒血となり漿液となり、濃いのは下痢、痰、小便などで出て了ふ。他の療法では絶対に治らぬと断言出来る。
霊の曇は光でとる。人間は此光を皆持ってゐるが、出す方法がなく、勿論知らなかった。不思議のやうだが判ってみれば何でもない。光が霊の曇を射るからとけてゆく。押せば力は出ぬ。想念が指といふ体の方へ力を入れるから出にくい。溶かす場合は力を抜いて了ふ。そしてどこまでも霊を放射してゆく。さわらず押さずの程度でこする。治りのわるい人は力を入れる人である。体ばかりか知らぬ人である。
大きく擦るより三つ位に別けて擦る。悪い所といふものは小さいものであるからである。そこへ集注してすればとてもよく治る。
一個所に塊があると、そこへ段々毒が溜って行くもので、現在ある塊といへども三年とか十年とか、とても前から溜り始めたものなんである。医学ではそれを知らぬ。 神様は、人間をお作りになったお目的は、理想世界天国をおつくりになるにある。天国とは完全な世界、不完全、不合理のない世界、不幸のない世界で、それが出来る。人間は今迄出来なかったから出来ぬものと思ってるが、神様は着々準備せられてゐる。病貧争のない世界で、そのうち一番肝腎な事は病気で、その為に浄化作用があり、感冒の如き恩恵がある。
浄化故病気はすてておけば必ず治るものであるが、たゞ今日の人間は膿や曇が多すぎる為、非常に苦しみや痛みが多い為治療の必要がある。故に此治療が世界に拡がり、百年も経てば治療の要もなく、薬毒もなくなり、病気のない世界のくるのは必然である。
今迄、病気とはそういふものなる事をしらず、熱、痛み、不快など段々昂ずると死ぬと思った。それは反対で、それ等が強い程治りつつある訳である。 そこでそれを止めるべく毒をのませ身体を弱らした。之が間違の根本である。毒だから呑んではいけないといふやうに、神様はまずくつくった。アダム、イブの禁断の果実のやうなるものである。かかる根本的誤りにとりつかれて病気の苦しみを得た。 ☆
日月地今迄は火といふものが極少なかった。分り易くい
火水土へば夜だったから日が出てゐなかった。
水と土、月と地の世界だった。丁度世界がそうなってゐて、日本は明治以前には世界地図にさへのってゐなかった。世界に認められ、つき合ふやうになったのは極最近であった。之は意味のある事で、宇宙といふものは陰陽といふ事をいふ。
陰 陽之は夜昼といふ事になり、何事にも之があり、大中
明 暗小幾通りにもある。火水土も大中小になってる。
少くとも今迄一万年に夜昼ありと仮定し、その夜昼の境目は丁度今である。今迄は夜で月の世界、月は照る時と暗の時とある。丁度その如く凡ゆる治乱興亡あり、月照ってる時は平和、暗の時は戦があった。今はその最もひどい時とみていい。
今度昼の世界になるに就て、日本が段々世界へ表はれて来た。今東亜新秩序が出来た以上、世界の三分の一の支配者になった訳である。昼の世界は夜と反対になる。

夜 分裂 遠心的
昼 統一 求心的
時計も左へ捲くとしまり、右に廻すとあける。凡ゆるものが段々統一される。 最後に世界は三つになる。日本が一番上になり初めて平和が来る。日本でも今素晴しい勢でそうなりつつある。米なら米で、農家から直接政府へ集まり一般へ配られる統一される訳である。今戦争の為こうなってゐるんで終れば元の通り自由販売になると思ふがそうでない、否寧ろ益々統一さる。凡ゆる商人が皆組合になり、共同販売といふやうな事になる。元のやうにかへる事は絶対にない。之は昭和十年に話した事があるが、凡ゆる産業は合同され、仮に産業省といふものになる。之が統一する。
会社は会社として今のまゝで行く。一つに統一されるから利益は平均され、それが三分され政府、資本家、労働者と分配される訳である。現在の動きがどうしてもそうならなくてはならぬ事になる。競争がなくなるから利潤を平均して、タンと大きな利益の配当はなくなる。そして産業等の利潤は政府が保証する訳で、丁度公債と同じ訳になる。例へば、日本なら日本の株券が公債よりもいい利廻りとなる。事業の盛衰によって半期々々で違ふ訳である。四分二厘、三厘、四厘といふ風に、之も政府が保証するから絶対安全である。その時代には産業証券といふやうな名とならふ。そして産業証券の利益は殆んど同じであるから、価格の変動がなくなる故、投機性がなくなる。今のやうな賭博的分子がなくなる。今日の株式取引所のやうなものもなくなる。或はもっと強大な半官半民の証券交換所といふやうな機関になる。そして政府は三分の一の利をとるから、税金はとらなくていい。
今迄は随分複雑してゐた。統一とは非常に簡単になる事である。今迄は西洋医学の如く分裂した為、非常に複雑になった。その時代にも金持はある。私有財産はどこまでもある。之を徹廃するとせば、露西亜と同じやうになる。たゞ決算は公開されるから、富豪は誰がいくらとったかすぐに分る。今日では公開されてもよく分らぬが、もっとはっきりする。この組織になれば判るから、全部私有する事が出来なくなり、社会事業とか、労働者の娯楽などの為に使ふ事となる。又全般的に非常に良心的となり、いい社会になる。
分裂する事、換言すれば破壊する事。善はまとまる事。対照的にいへば善悪に分けていい。悪は善になる事もあれば、善が悪となる事もある。之は時間的の関係で、時間により変化する。その時の状態に附して善悪にする。どっちも必要があるのであって、又どっちか勝ち負けはある。
人間は悪心を制すべき良心があれば、それは安心な人である。この制へる力が弱いと悪の行動となり、間違ひが多い。人間はどっちかが強いので、たゞ良心の方が一歩強ければいい。夜の世界では悪の方が一寸勝ち、昼では善の方が一寸勝つ、そこで統一的な動きはすべてが良心的になる。現在の動きはすべて良心的になりつつあるのである。贅沢禁止令などすでにそうである。金があればどんな事も出来る。然し多くの人は物が足らず、うまい物も食へず苦しんでる。少数の人の贅沢の為に、多数の者が苦しむ事になる。それで生活必需品が足らなくなるので、それを多数の人に振向ける行り方になった。
今迄の政党は、主義の善い悪いでなく戦った。反対党のものが良い事をいっても、それに反対する。今度はそういふ喧嘩もなくなる。商人など非常に儲けた。相手を倒しても多くの労働者を絞っても、自分だけ儲けて贅沢した。それもなくなる。儲けも定まって了ひ、誤魔化して儲ける事が出来なくなった。立派な着物着て自分一人好い気持になるが、人は見て羨み悲しむ。多くの人が不快になり、僅かの人がいい気持になる。之は悪である。大勢の人と共に楽しむ、之が良心的である。外の人が悪い思ひをしてもいいといふのは、何としても悪である。之等は宇宙のリズムと反対になったから、すべて大勢のよきよう制限され良心的になった。つまり、みんなの仲間がみんな好いよう、全体主義、公益優先になる。国民全体がそう思へばみんなよくなる。こういう新体制でいけば、皆よくなるに定ってる。之は何年も続けば慣れて来て非常にいい世になる。
そうして、今に物も余るやうになる。であるから、こういふ新体制になった事は、本当は有難い世になった訳である。今迄の自由主義ではうまみがない。之は悪が残ってゐるからで、凡ゆるものが良心的となる故、段々犯罪者は減ってゆく。ゴマカシがなくなり、人間が嘘をつかなくなる。
長い間夜の世界で悪の方が勝ってゐたから一時的栄えた。然し、悪は勝ち通さない、或期間栄えるだけである。そういふリズムであった。之は、全然それはなくなるのである。花柳界なども段々制限され四分の一位しかなくなったといふ。それも自動車の乗りつけ出来ず、遊んでゐても一々臨検を激しくするといふ。之は、暗取引するのを査べる。こういふ遊びをする者は、あぶく銭をもうけたものが多いからだ。一々儲けた道を聞くのだそうである。すると必ず暗で儲けたものだといふ。暗で儲けたものでなくては、花柳界で使へない。そういふやうな関係で花柳界は非常に今さびれたといふ。あゝいふ所へ行けなくなったといふ事は、善が勝った訳である。あゝいふ所がなくなると不正の儲けがなくなる。もっと明るい楽しみになる。とに角正しい世の中になってゐる。伜や娘の不良などの心配もなくなる。
統制となると地域的配給になるから、一都なら一都のみで配給するから非常に労力が省ける。物資が足りないやうな事がなくなる。
病気といふものは、汚いものが溜るから右進左退で、左進右退は治る作用。之が病気であるが、病気の起ったのは右進左退が先である。
霊と肉とぴったり合ってゐるので、人間としての働きが出来る。
水-空気-冷熱と冷と混って生物の住むに丁度いい気候
土-物質になってる。空間にあるのは、火の霊と水
火-霊-熱 の霊、眼に見えるのは体。
火と水と合って力が生ずる。ガソリンなど熱すると燃えて、すばらしい動力が起る。
何れ科学の方で火がわかる。昼になると殖えるからである。昼の世界では、火の霊が勝って多くなった。火の霊が強くなると左進右退となる。
学理は今迄と反対にならなくてはならぬと或学者がラヂオでいってゐた。今迄は科学が学問を支配した。然し、科学は学問を主として、その中へ入るべきものである、と言ってゐた。之等も時節が変ったからである。
左進右退になると昼間の動き故、吾々が生きてゐるのは、霊体と肉体と合致してをり、霊体が霊界にあって、霊体が昼間に合ふやうになってるといいが、今迄夜の世界に長い間ゐた為曇がある。曇は昼間になるとすぐ眼に立つから、どうしても清められなければならぬ。病人のふえた根本はそこにある。

毒血とか膿とかの毒素は、霊体に滲みると一つの曇りになる。丁度人間の霊が明るいものなら、それは一つの暗いものになる。大空にすれば一つの雲になる。その雲なり、曇なりをとるのに霊を放射する。それは一種の光である。光は人間誰でもある。
肉体が着物を着てゐる如く、霊も着物を着てゐる。普通ちょっとあつくして三寸位の霊衣、これは見える事がある。唐紙の前に人間をおき、暫く瞠(ミツ)めてゐるとみえる。肉体から白いやうな青いやうな光を発してる。それで弱いとか心のわるいとか、曇った人などは薄いのである。その霊の光、それを集注して強いものになる。光のヱキスみたいなものになる。之を手から放射すると曇がとける。とけるからきれいになる。すると、肉体の汚いものはそこにゐる事が出来ぬやうになる。そこで痰や下痢で出る。薄い所は漿液になる。横痃といふのがあるが、それは医者でよく切る。するときっと赤貝の如き肉や膿の塊が出る。膿などネトネトしたものが出る。自然に穴が開いて出る。その時は黄色い水とも膿ともつかぬものが出る。その位薄くなった訳で、無論分量も少くなる。治療すると毒素は少くなり薄くなる事は確かである。それがあたり前の状態である。或場合小さい固った膿を溶くと大きくなる。元は大きい膿が固まって少くなったもの。之は溶くと容積がふえて淡くなって出る。おデキとか、お腹の塊など腫れたやうに一時は大きくなる。故に治療の場合それを充分心得てゐて患者のわるい所へ向って放射する場合に注意する。

西洋医学は霊を全然知らぬ、否認めぬ故に癲癇、狂人など皆脳としてゐる。
肉体は霊体を入れたサックの如きもので、使用に堪えねば霊は出て行く。
霊は普通死んでから四十九日まではその家におり、五十日目に行くべき所へ行く。普通はお寺へ行き、神道ならば産土神社又は信仰してゐる団体へ行く。お寺で葬られれば一時お寺にゐなくてはならない。そして間もなく自分の信ずる所へ行く。所が信仰する所がなければ、お寺に長くゐる事になるのである。人間が死ねば煙のやうになると思ふ人は、お寺にもおれず宙に迷ふのである。中有界に迷ふので六道の辻ともいひ、こゝは辻のやうなもので、四方八方どこへでも行けるのである。
此世で死んでも邪神界へ行くものもある。仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修業する、といふのは浄化作用が行はれる。罪は苦しまねばとれない。
これを迷信といふ人こそ迷信である。或程度浄化が行はれると生れ代る。霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生れる。
霊界で出来るだけ長くゐた方が幸運である。思ひ続けた想念は滲みついてゐるもので、又死の時の想念もつづく。非常な美人は前の世はまづい顔だったかもしれない。だから女の方は死ぬ前に美人に生れて来ようと思った方がよいであらう。輪廻転生、人間は霊が主で、霊は不滅、肉体は滅びて土となる。五十年とか八十年とか、霊の衣をぬぐだけといっていい。人間は霊体が実体である。

霊体の同じ所に同じやう曇あり
人間は始終火と水を吸ってゐる(火素、水素)
外部から曇をとれば移動の必要なく、痛みはなくなる。それが非常に速い。霊を支配すれば体は必ずそうなる。医学は治さない進歩故、進歩する程病気がふえるのは当り前である。
肺結核が多いのは、子供の時分から次々熱の出るのを氷冷などで固める。子供の時は元気がそこまで行かぬからとまるが、十五から二十となるととまらぬやうになる、どしどし浄化を起す。
夜 月の世界(水素)
霧は月の水が幾分溶けて下るのである。
昼 日の世界(火素)
凡ゆるものに霊体ある如く、夜昼にも火と水にも霊体がある。
空間に火素が殖えた。
火素(触ってもあつく感じない)
火素を集めて病気を治す神秘的な力を授った。私だけでなく誰でも出来るが、今の所はあまりない。
太陽が出ても月はなくならぬ、反って夜よりはっきりして立派な存在となる。土も日本の日に照らされはっきり現はれる。右何れも消滅はしない。

-となる。火は精神
心がもえるといふ、火だからである。水ではない、心が流れるとはいはぬ。
心-左心臓は左についてる。
物-右人間は右手を多く使ふのは物質に対するからで、
左の方は位が上である。

霊が案内し、体が後から行く……中心への結合
物質の後を霊が追かけてゆく……
政党は、大政翼賛会
商人は、企業合同
今迄大宇宙のリズムは左進、小宇宙は右進。今度は両方左進で合ってくる。今迄は掛引でよかったが、之からは駄目である。
治療はやはり人格的に精神的の愛、慈悲を以て病人を扱ふ。精神的の内容が肝腎である。これは新体制の療法で、どうしても此療法が発展して、今後の病気は此療法によって治す事になる。私の創った療法になると確信してゐる。此話を本として、世の中の凡ゆるもの、凡ゆる動きを観察すると、すべてそうなる。世の中に処して行くにも安心して行ける。

肉体は死物である。医学の建前から物質たる死物を健康にしても、健康になる訳はなく、病気も治らぬ。霊に対するには霊を以てしなくてはならぬ。霊の放射で初めてとれる。霊を綺麗にするより外方法はない。
今迄火がなくて霊界の事が分らなかった。
血液の汚い分子のみ循環によって一所へ集まる。人間がゴミを一所へよせて掃溜へすてるやうなもの、そのはきよせてすてる時が病気である。
心臓は毒の量、質等に必要量の熱を吸収する、それを冷す。
(肺-痰、腸-下痢)心臓は目にみえない火を吸ふてとかす。肉体の曇は水になって動く、それが痛みである。故に病気とは浄気である。
医学は掃溜へすてるのを制へつけたやうなもの。灸、鍼は刺戟によって誘導する。 天然痘と尿毒は二つとも高熱は出ぬ。薬毒は高熱が出る。たゞあまり沢山毒があると熱が出ない。浄化をおこし切れぬ。熱、痛み、痒み等は薬毒と思っていい。レントゲンは火傷と同じくヒリヒリする痛み、針で突刺すやうな痛みは薬毒。毒と浄化の衝突で衰弱し倒れる。よはってる所へ急激な浄化が起ると死ぬ、肺炎の如し。
普通の人の光は薄いが、お守をかけると強く出る。軽くすると強く出る。擦ると擦らぬとの間位でやる。一生懸命やってはいけない。お守があるから軽く思念してすると非常に強い光が出る。一ぺんに両手を使ってはいけない。片手に集注してやる。細かく中に入れてかき廻すつもりでやる。火によって塊がとけるといふ気持でやらなくてはならぬ。
手は放してしなければいけない、手指で放射するやうする。落ついてやるやうになると、指で制へてゐてお腹から出す。そして指頭へ精神を集注する。その時指から放射する気持でお腹へウンと力を入れて出す。之は非常に力が要る。骨が折れるから、或場合之を知ってゐていい。
光を強くする、その道具がお守である。お守をかける事は、いくらでも説明出来るが宗教的になる。宗教は禁ぜられてゐるので、ただそういふ風になるものだと思へばいい。特に知りたい人は個人的にお話する。今の所、そういふ話は遠慮してる。 自分は病人だから人の病気を治しても霊がよく出ぬと思ふ人もあるが、そうでなく病人でも治る。之は一寸解り難いが、病人になってる時は全体的浄化作用が起ってる、故に霊体が綺麗になりつつある。座敷などゴミで一杯になってる時、はたきではたいたり、掃いたりしてる時であるから、病人は霊の方面からいふと汚いのではない。病人でも何でもない人が、私の所で働くと病気が起る事がある。これは光が放射されると共に溶けるからで、溶け易くする為横に擦る。
光、水、風の働き、焼いて水で綺麗にする。綺麗にして又焼き風で吹き払ふ。太陽や熱で黴菌を殺し雨で浄める。天地を浄めるのと同じ意味である。押すのと擦るのと原則として半々がいい。風の方は時々でいい、場合によっては風なしでいい。相手により人により、よろしきやう相応してやる。柔いのやきついのや、押し方は相手によって応変する。

人間の全体を支配せるものは頭脳の真中であるから、これを清める要あり。此中清まれとかく、字の働きによって霊界が浄まる。頭の熱い人は精神散漫、物がよく考へられぬ。精神病など特にあつい。特に物を考へると額に毒が集まる。八の字を引く所。学校の成績のわるいものなど皆これである。脳膜炎など前頭部があつい。身体丈夫なら脳溢血の血は上へ行くが、運動不足などで弱ってると逆流して手足へ行って中気症状となる。脳溢血は、血と膿と両方あり、酒を呑んで顔の赤い人は毒血、青い人は膿の方。赤い方は生命にかかはり、青い方は中風になって長びく、膿と血と混ったもの、之は顔色が白い。

小脳へ入るのが嗜眠性額へ行くのが脳膜炎
脳膜炎は背中に膿が溜りそれが上って行く。脳膜炎の場合は頭全体の時が多い。脊髄膜炎などは治療すれば解消して下痢などになって出る、出はじめれば必ず治る。 眼病は之が多い、上から来る毒が眼の中へ入って見えなくなる。顳 (コメカミ)の場合もある。額から瞼の奥の方を浄化する。眼からやった方がよい。瞳の真中へ向って霊を集注する。目脂が出る程治る。一回やって効果がなければ長くかかる。

眼の下の毒素は目へは入らず鼻から出る。延髄と鼻とは非常に関係があり、延髄がとけると鼻汁になって出る。
ガス中毒なども延髄へ溜って犯すのである。
肥厚性、粘膜を刺戟してカタルを起す。
耳鳴   耳下腺の膿が少しづつ出る。
  脳中の毒素。
扁桃腺肥大は熱の出るのを待ってやると早い、熱を出すに永くかかる。
風邪は淋巴腺、右か左かどっちか極ったもの、一遍に両方といふ事はない。どしどしとけて鼻汁や痰になって出る。耳下腺へ行ったのは大抵痰になる。風邪の場合、肩に浄化が起る場合もあり、どこから熱が出たか分らぬ場合もあり、その時は治療してゐると熱が出てとけて行くから分る。顳 (コメカミ)と肩の辺は非常に関係あり。額の方をやってゐて肩の方の熱がさめる。肩部をやってさめねば両顳 (コメカミ)をする。 喉頭結核、むせるのと声が嗄れるのと両方あり、物をくってもつかえたり、痰が出たりする。
顔面神経、両頬に来る場合もあり。
不眠症など皆淋巴腺、二晩続けてやればすっかり治る。
人間の身体は肩より上をやれば一番よく治る。
肋間神経の膿はとけて肺の外に溜る。又この膿がとけて心臓、肺などを圧迫する事あり。よく心臓といふのをみると肋間が多い。脈が正確ならば心臓はわるくない。心臓に異常なくて脈が結滞する人あり、不正は殆んど心臓。
肺尖-肩が張って熱をもつもの。肺門といっても殆んど肩胛骨辺がわるい。

元肋膜やった人はよくこゝに残ってる
こゝで眩暈する事よくあり、とても溜り易い
肺炎-肺の前面に溜る事と、後面へ溜る事あり。
手の挙らぬ人、後へ廻らぬ人、前方腕の付根。
半月爪、病人にはなし、よくなると出る。
肝臓部-黄疸をおこす。右肋骨末下に熱をもち胸やけなどする。肝臓腹膜-黄色の腹膜。胆汁は水に交ると固まり易い、輸胆管に石がたまると胆石。治療により小さく粉になる。
糖尿は肝臓を圧迫するから糖分だけ腎臓へ送る。
便秘-臍のまわり。
癌は丸くならぬ、不規則になってゐる、筋の如くなってるものあり。 子宮前屈、尻の方に膿ある時前屈する。膀胱と子宮の間に膿のある時前へ行ってる。子宮癒着は膀胱などへくっついてる。
足、予防注射などの毒、一番多いのは踵(カカト)、次に内外の踝(クルブシ)、次に膝である。予防注射でないのは分量が多い。分量の多いのは下脚一帯に及ぶ。足で一番肝腎なのは大腿部真中の筋で、中風等で足の上らぬのはこれ。次に、膝のわるいのは大低膝の内側、吊る(コブラがへりなど)。大抵脹脛(フクラハギ)横又その内側、ひどいのになると脹脛。
疫痢には水菓子、果汗等は不可、水菓子は下痢を促進するものである。
百日咳は上半身、胃を主とし胸及び肩胛部。
ヂフテリヤは口から喉一帯に毒素が固まる。
疳の虫など両顳 (コメカミ)。
耳の下へ毒血が溜る、棒を突込んだやうに溜ると、この毒が頭の中へ溜る。毒血が頭の中へ入って半身へまわる。毒血に白と赤とある。身体が弱ければ血は肉体の方へくる。耳の方へ行って奥で固まったのは耳が遠くなる。耳が遠くなると脳溢血にならぬといふのはこの為である。中には又身体が楽してゐると、弱って脳へ行かず身体の方へ行って中風になるのがある。又両側の首の毒が溶けて両半身が中風になるのがある。
脳貧血は首のまわりの膿。脳貧血が脳溢血になる場合もある。脳神経衰弱もそうである。これは後の毒の方が多い、脳天に血が不足するとねられぬ。五感は小脳、考へるのは脳天、頭に血が少くなると元気がなくなる。
風邪の熱は殆んど全部後頭部の右側。後頭部は毒が溜りやすい。上半身から上の熱は殆んどここといってよろしい。
肩をする時立ってやる方がやりよく、又治り易い。
肺が水分を吸ふのは、心臓が火素を吸ふそれを調節する為である。
火素の霊はお守に仕込んである。手指からはその熱(火素)の霊が出る。
股の熱は全身的の熱になり、咳と痰が出る。
肋膜の水が安静等の為外へ出ず固まる、それが或時期に浄化がおこり肺へ滲み込む、それを湿布などして固める。それが肺壊疽、癌などになる。
胃は殆んど薬毒、肋骨末端部をする。横からもする要あり。腰を立てて背部も通れと霊を放射する。又臍のまわり、幽門を押す為腸へ物が行かず、消化不良となる。狭窄すると嘔吐あり。脳の反射作用の時もあり。
慢性下痢は腹部のどこかが少しづつとけて出るものである。
熱の出る所は、股及び毛の所、右に限る。左は少い。特に毛の生え際に多い。これから咳と熱の出る事あり、喘息などもこれが多い。腹膜の熱なども殆んどこれをやればいい。
麻疹は治療すると発疹する。出しておいて治療するとドシドシ治る。医療によれば麻疹の毒は全部出ず、眼がわるくなったりなどする。
肩、胸、胃の毒は大体胃へ溜る、嘔吐する。
疫痢は胃へ先づ溜り、熱で溶かし、嘔吐し、又腸へ下る。腹部の熱いうちは下痢する。脳を犯す事あり。胃へ溜った毒は脊髄へ行き、脳へ行く事あり。
今迄月の世界故、文化は西から来た。最後に東の光が出て西を照らす。東の光は太陽、之は日本である。昼間の世界になった為に、火素が殖えた、強くなった。霊界に霊素即ち火素が濃厚になった。その為に明るくなった。夜の世界は火素が稀薄の為、毒素をのんでも停止された。今度霊界の火素が殖えたから、明るい所で毒を呑むと、どうしても両方とも浄化されねばならなくなった。
火の洗礼-霊で霊を浄める。神様の約束によって私がさせられた。世界中で今にあわて出す。キリストの書いた「世の終りは近づけり、汝等悔ひ改めよ」といひ、又最後の審判、或は火の洗礼といふが、正に此事である。霊で霊を浄める、即ち火の洗礼である。