一般に関する奇蹟 16

長崎県 N.J
入信以来数限りなく御守護いただき感謝の日々を送らせて戴いている者でございます。善言讃詞の中に「漁豊に天ヶ下生とし生ける億兆の歓ぎ販はふ声々は…………」とありますが、その海の幸を一身に戴いた御利益の一端を報告させて戴きます。私はエビ網を持っていますので毎年操業致しておりますが、このエビ網にも漁獲の時期がありまして、長崎県では毎 年五月一日以後七月三一日までを「イセエビ」の産卵期として一切漁獲が禁止されております。

私の村にも同業者が数名ありまして時期中は全く競争でございます。今年も早い連中は三月頃から早速漁を始めましたが、いつまでも寒さが続いたせいで、あまりかんばしい成績もあがらずにいたようです。私は人手が足らぬのと、準備その他の事で操業が一ヵ月以上も後れ、操業期間もあと二週間しかないという頃からやっと始める事が出来たような始末でした。従って僅かの期間に、早くから始めている連中の漁獲高に追いつこうと思い一生懸命大光明如来様にお願いいたしまして操業をはじめました。夕方漁場に行って網を投じ、翌朝早く引上げて「エビ」をとる仕組でございます。果して毎朝の漁獲高は御神助により他の舟よりも必ず遥かに多いのでした。

先日、A先生がお見えになり、「明日は支部の大黒様の御祭を行います」と申しますので翌日お参りして漁獲した「エビ」を御供えさせていただき、残り僅かな期間をうんと御守護戴き、御用できますよう御願い申し上げました。ところが果然、御利益たるやすばらしいものを戴きまして感謝感激の極みでございます。これから当時の実状を報告いたします。それは二週間足らずの期間も明日で終ろうという四月二九日 のことでございました。

漁獲いたしました「エビ」は船で長崎か佐世保の市場に積み出すわけで、期間が四月一杯ということなので五月一日までは市場で取扱ってくれることになっております。したがって期間一杯、二九日の晩まで操業出来るのですが、天候の関係では早目に切り上げて積み出さないと、若しも時化でもあると船が出せず取扱い期日に後れ、もはや市場で取扱ってくれぬことになりますので、大抵他の連中は二八日限りで切上げて、二九日の朝「エビ」を船に積み込んで長崎方面へ運びます。この時は私達もどうしようかと思案しましたが、なに期日一杯操業しても必ず御守護戴けるに違いないと思い切って期間一杯まで操業することに致しました。ところが二八日の朝方から南風が強くなり、だんだん度を増しますのでこのまま時化られたら大変なことになるがと多少心配しておりますと、嬉しや翌二九日の朝方に至り風はぴたり凪ぎ、唯うねりのみ残っているのでございました。通常「エビ」は凪の時のある時の方が沢山とれるものなのでございますこれをもって御神助と言わず何と申したらよろしゅうございましょう。夕方を待ちかね私たちは勇躍漁場へとこぎ出したのでございます。他船は一日早く切上げて居ます故、船は私たち只一隻、一人舞台の漁場で次から次への網を投ずる快感筆にも言葉にも尽くせるものではありません。私たちは、「明日は大漁だぞ」とはずむ心で語り合い乍ら港へ帰ったのでございました。さて、翌朝明けるを待ちかねて漁場に向い網を引上げて見ますと、驚く勿れ、予想にたがわず見事な「エビ」が網にかかって揚がること揚がること―――。全くあきれる程の大収穫に、思わず「明主様有難うございます……………」と心に御礼申し上げたのでした。

これこそ私たちに与えて下さった神様のお恵でなくて何でしょう。今更の如く神恩の広大無辺に驚くと同時に、感謝感激の念を新にしたことでございます。この日の漁獲高は何とこれまでの一日分の五倍以上、想像もつかなかった漁獲でございました。あとでこの事実を知った他の連中がくやしがるまいことか。それもあながち無理ではありません。私達と同様に期日まで操業していたらやはり神助の一端にあずかり得たものを信仰なきものあわれなる哉、わずか一日の違いでこんなになろうとは夢にだに考えられなかった事でありましょう。

お蔭で僅か二週間足らずの操業でしたが早くから操業していた連中に勝るとも劣らぬ漁獲高をあげさせて戴きました。これも偏に大光明如来様、明主様の御守護の賜物と深く深く感謝致します。

明主様、誠に有難うございました。

(昭和二七年六月一日)

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東京都 K・K
入信
私は満州から三年前に引揚げて参りましたが、満州以来長い間頭が痛く、ひどく悩んで居りましたので、医者にかかり、ホルモン注射をして貰い、又買薬「ノーシン」許り用いて居りましたが、効果は少しもありませんでした。昨年秋、M様のお家に御世話になることになりまして、色々と世界救世教のお話を承りましたが、従来信心気の無い私でありましたので、半信半疑で中々信じられませんでしたが、お勧め頂くままに、昨年一二月六日から八日までH町教会でA先生から教修をお受け致しました。

教修のお話は一応は分りましたが、未だ私にはピッタリと来ず御講話として承った程度でありました。三日目にお守を頂いても、誠に申訳無い事でありますが、正直なところこれで御力が出るのかと、あまり信じも出来ず、いい加減な考えでハッキリ分らぬまま、只、お守をかけて居りました。

お光を見る
本年一月一三日午後三時頃、M様のお孫さんのJさん(九歳)が、一両日風邪で頭が痛んで臥床して居られましたので、何の気なしに初めて御浄霊を致しました。御浄霊をし乍ら、フト気付くと私の右手の指から白い光の様なものが出て蒲団の中のお孫さんの頸筋から、ズッと背中の方に長く入っているのが見えました。ビックリして不思議で仕方がないのでよく見ると、雲間から洩れる太陽の光の様な、又自動車のヘッドライトの光の様なものが流れ出て居ます。五本の指から出ているので、試みに四本にすると四流の光が出ています。一本にすれば一本の光が流れ出て居ます。あまり不思議なので、罰が当ると恐ろしいとは思いつつも、何か目の錯覚か精神的現象かと疑いつつ、ソッとお守を外して手を翳して見ますと、初め一寸光が出ましたが、直ぐスーッと消えてしまって何も見えなくなってしまいました。これは大変なことをしたと思って再びお守をかけて浄霊しますと、又前の様に強い、スゴイ光が流れ出ました。その時はホントに有難いやら嬉しいやら、何とも申し上げ様もありません程の感動でした。これは決して作りごとでもなく、迎合して申し上げるのでは絶対にありません。その内お母様が外から帰られましたので、直ぐこの事を申し上げて見て頂きましたが、何も見えぬとの事で、全く私だけが見えるので再び錯覚かと色々試して見ましたが、明らかに見えます。この頃は前よりももっと強く、ハッキリと見える様になりました。

M様のお手からも光がでます。この光は、昼間の太陽のカンカン当っている部屋でも見えます。光の全然無い真暗な所では見えません。手の甲からも出ます。浄霊をしていると相手の方にも、又自分の方にも出ます。この事は他人を浄霊すれば自分自身も浄霊頂ける訳かと思います。光の色は白い様でしたが、金色であることが判りました。又御神体の御文字は光が強くてパッパッと金色の御文字があちこち飛び廻る様に見え、その光は御文字の裏から発する様に見えます。この手から出るお光は着物も立派に通り、先の方に出ています。試すということは悪い事かと思いましたが、色々と試させて頂き、東京都の部厚い電話帳も通すかと試してみましたがこれも難なく通って先の方に強い光が出ております。種々の角度からお光を見せて頂いたのであります。

尚、力を入れて浄霊致しますとお光が弱く、力を抜いて浄霊致しますと反って強いことを発見致しました。

結び
私は入信後今までただお守をかけただけで、神様の御光が出る等ということを伺っても半信半疑で居ましたが、この光を見せて頂いて以来は疑う余地等本当に無くなりました。錯覚だとか、精神的現象だとか、色々思い返して見ても現実に見えるのです。この事実は寸分も疑う事は出来ません。M様も見えないと仰言るので、どうしてこれが見えないのか、私には何か動物霊でも憑いているのか等と思ってもみましたが、過日明主様がM様に「光が出るのだから見えるのは当り前ですよ」と言われたと承り安心致しました。兎も角御浄霊の場合に、お光が流れて当るのは誠に頼もしくも又張り合いのある事と感激に浸って居ります。

近頃はお蔭様にて長い間の頭の痛みも治して頂き、血色も誠によくなり元気で働かせて頂く事が出来る様になりまして、深い御恩寵を心から感謝致して居ります。

明主様有難うございました。謹んで御礼申し上げ御報告させて頂きます。

追記 (M生記)
以上はK女史の言でありますが、この光を見て以来あの疑い深き女史が全く参ってしまいました。教修後何も私達は申しませんでした。一二月二三日明主様から浄霊の新しい方法を示し下さった時、力を抜き、自意識を取ると一層よい効果があると言われました事は女史は全然伺いもせず、知りもせぬ事でしたが、最後の項にこの事実を記して居ますことは注目すべき事であります。

(昭和二六年五月一一日)

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大分県 O・H
昭和二四年八月入信以来数々の御利益をいただき御報告させて戴きましたが、次々戴く御守護で何と御礼申し上げ様もございません。

去る四月二三日、息子Y(一六歳)が(大分電気通信局勤務) 大分市内のマンホールに於て作業中ガスなきを認め道路上に出ました。その後他の者がこれに入り作業中たおれたるを知らされ、驚いてかかえ上ぐべく中へ飛び込みましたら本人も又意識不明になり近所の人垣をつくる様な事になりました(当時新聞紙上をさわがせました)。私はその報に接しかけつけた時は医者が来て居り近所の縁側に寝せられて居りましたので早速御浄霊さして戴きました。しばらく光明如来様に御願い致しています内に意識をとりもどし、気分も次第によくなりましたのでその旨付添いの看護婦に話しましたら「大丈夫ですか、注射して置きますから」と親切に言ってくれますが「有難うございますけど注射は結構です」と不思議そうな看護婦及び並居る人の顔を後に残して自動車にて帰宅しました(他の一人は入院したそうでございます)。私は直ぐ勤めの為引返しましたが妻の終日の御浄霊にてぐんぐん快方に向いました。夜又浄霊していますと蒲団の中から言い様の無い臭気がプンプンと発散致して来ました。御浄霊によって薬毒の出る事を聞かされておりましたが、体内のガスが発散しているのだと思いました。未だ子供は入信致しておりませぬのに、平素の御浄霊のお蔭でガスの発散も早かったのだと思いまして日頃御指導戴く、M先生及びI先生に感謝致しております。至りませぬ私共夫婦の上にこの偉大なる御力を御与え下さいました御明主様に感謝の言葉もございません。

誠に有難うございました、謹んで御礼申し上げます。

(昭和二六年六月二日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)