一般に関する奇蹟 14

佐賀県 I・K
三月三〇日朝家内が今日は麦の手入れをしたらと申しましたが、丁度この日は近所の人の新田開拓の手伝いがあり、皆行くので自分も行ってやらねばと思い出掛けました。作業中大きな岩が出て来ましたので爆破する事になり煙草休みの間に爆破してくれと頼まれました。時刻は午後四時頃だったと思います。私は導火線に自分の煙草の火で点火しましたが火のつきが悪く点火しなかった様に思いましたので付近に脱いであった上着のポケットからライターをとって来て蹲踞しながら再び点火しようとした瞬間、轟然と爆発したのです。先に点火した煙草の火が完全に点火しておったのでした。

爆風に顔面強打された私は右の目が見えません。「相当やられたな」と思い手拭でそっと顔を拭いてみますと少し血がついている位で大した事もなさそうです。傷は浅いと先ず一安心を致しましたが、少々右手が痛みますので見てみますと拇指と食指との間がひどく裂けているのです。これはライターが爆風のため吹き飛ばされる際拇指と食指の股を引裂いたのです。後から聞いたのですがライターは一間程離れた所に粉微塵に砕け散って落ちておったそうです。

直ちに御守護の御礼を申し上げ御浄霊させて頂きましたら血はピッタリ止まりました。爆破した岩は如何になっているかとみましたら全く奇蹟です。岩は縦に四つに割れ私のいた側面の二塊はそのまま立っており、反対側の二塊は四、五尺向うへ吹飛んでいるではありませんか。若しこれが反対になったら私はこの世の人間ではなかった筈です。この奇蹟、御守護によるこの再生の命、私は生きているのです。生かして頂いたのです。有難くて有難くてなりませんでした。

その夜は近くの会員の方が親切に見舞って下され御浄霊頂きました。熱が高く一睡も出来ず夜が明けましたが、疲れたため家人が仕事に出た後戸を締めて寝ておりましたが、余り苦しくなり出しましたので光明如来様の御前に額突きお願いして御浄霊を自分でさして頂きましたら大変楽になり、再び床に伏していますとM支部のT先生の奥様の声が聞えるではありませんか、夢かと思いますと矢張り本当なのです。全く蘇った様に嬉しゅうございました。遠い所をわざわざ、ああこれも光明如来様のお蔭です。奥様は一里以上もある山路を登って来て下さったのです。早速浄霊頂きますと急に楽になって参りました。奥様が帰られた後は気分よく初めて眠ることが出来ました。その翌日は集会所まで行ける様に元気になり、ただ今では右の目も視力が次第に恢復して参りました。家内も心から喜んで教修を頂く事になりました。去る二月末火災が起きようとした際も御守護により事なきを得、今また重ねて命を頂きました。度重なるこの感激に報い奉る心これを忘れてはならないとしみじみお誓い申し上げるのでございます。私如き数ならぬ身に賜わる事の出来得たお光により出来得る限り世のため人のために働かせて頂きたいと心の底から朝な夕な念ずる私とならせて頂く事が出来ました。誠に有難うございました。

(昭和二四年四月三〇日)

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長崎県 T・H
昭和二四年二月二八日午前一〇時頃、佐世保市外浦頭復員局の検疫所が大火事だという急報に接し、おりから佐世保市内から疾走して来た消防自動車に便乗して火災現場に向いました。自動車は時速八〇キロ位の物凄い全速力で国道を南へとぶように走って行きました。振りとばされないように車体にしがみついているのは大変でした。すると突然前方に湖が現われ、路はそこで急カーブをして湖を半周していました。運転手は慌ててハンドルを急に左に廻しましたが、あまりひどくハンドルをきり、自動車はアッという間もなく三間位の高さから下の畑に転落、私達六人はその下敷になったのであります。

「アッ、ヤラレタ」と思った瞬間、丁度転覆したその内側に乗っていたため、グイとあの重い自動車が私の胸と股の上にのしかかりました。ところが不思議にも次の瞬間その自動車はグッと起き上り一回転したわけで全く奇蹟の奇蹟とでも言いたい位です。しかも斯様な打撃にも胸はつぶれていないのであります。しかし息がつけませんので、自動車によりかかりながら御浄霊さして頂きました。申訳ございませんと光明如来様を念じつつ、やや暫くしてすーっと息が楽になり、次に足にお光を通させて頂くと立たなかった足が直ぐさま自由に動くようになりましたので、その重なる光明如来様の御守護の有難さに咽びつつ他の人の救助を手伝わして頂きました。

見ればぞっとする様な崖から本当に一回転して落ちたとは思えぬ位他の人も無事であるのに再度驚き、心の中でお礼申し上げました。普通なら死人続出、否私も即死していたに違いないところを、唯私一人が光明如来様のお光を頂いていた許りに私はもとより、他の同乗者をもそのお蔭に浴す事が出来たのであります。夢の中の出来事ではありません、私は現実に光明如来様の御力によって生命を頂いたのであります。若しお光を頂いていなかったら私は四四歳を最期に今頃あの世に行っていたのでありましょうに、考えれば考える程畏れ多い限りでございます。厚く厚く御礼申し上げさして できます。

(昭和二四年四月八日)

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岩手県 S・M
昨年八月一七日盛岡市より五里もある、岩平郡K村と言う山間集落の信者A氏義弟(未信者、二四歳)が一生懸命になって発動機の修理に余念なく、一時間以上も、いじっているらしい。本人の曰くには「兎に角不思議です。何処も特別の故障もみられないが、かかりません」と言って一人でプリーにベルトの代りに綱を巻いて引っぱり又巻いては引っぱりして廻しておりましたが、一向にかかる様子がありませんでした。私は光明如来様の御参りを済ませて、暫くして家の前に出てみれば未だ一生懸命やって居ります。夏の暑さに全身汗と油にまみれて気の毒な位でした。

その時A氏が「先生に御浄霊して戴くと直ぐかかる」と言われて私は面喰った。「御蔭話によく種々な奇蹟が出ているから先生お願いします」と言われました。併し私は機械に対して歴然たる経験がなかったのです。

誠に申訳無い事とは思いましたが、「機械は機械でなければ」と言ってしまいました。併し、本教には奇蹟が付きものであると、感じない訳ではありませんでしたが、素直に御浄霊出来なかったのが、未だ信仰の足らざる事であると反省させられました。むしろ信者の方が熱心です。私は力強く思いました。

それから私も手伝うから廻して見ようと言って綱を引っぱって廻して見たが、やはり駄目でした。その時、A氏が「先生やっぱり御浄霊して下さい」と言うのです。義弟氏も「時間がなくなる、今日はものにならないかな」と心配し、「先生御願いです」と言う。私は気の毒でなりませんでした。よしそれでは、光明如来様に御願いして御浄霊さして戴きましょう。

「人事を尽くして天命を待つ」とはこの事と思って早速御浄霊をさせて戴きました。

先ず発動機一体を御浄霊してみました処が、一寸手に感じた処が一ヵ所あったので、ここに曇りがあるなと思い、そこだけを御浄霊してみました。併し一分ともしない内に何だか治った様な感じがしたので、よし今度はよいぞと言って、又もプリーに綱を巻き引っぱってみました。嗚呼御守護、二時間以上もかからなかった発動機が僅か一分足らずの御浄霊で実に簡単にかかったのです。

嬉しかった。只々御守護の偉大さに感謝が溢れ出る許りで す。A氏一家も驚きと感謝で一杯でした。「これだから早くやって戴けばよかった」と言われて、私は吾が信仰の浅いことを知らされました。明主様御守護有難うございました。罪深き私を偉大なる救いの業に御使い戴きます大慈大悲の御恵み、厚く厚く御礼申し上げます。明主様誠に有難うございました。

(昭和二七年一二月一七日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)