福岡県 M・S
私達親子は妻の実家の二階を借りて暮しています。従来御神体を御奉斎しています床の裏壁が腐って不完全な為、修理せねばと思いながら費用その他の関係でそのままに致していました。ところが昨年秋のキジア台風で、電灯は消え、二階はゆらゆら、寝ることはおろかじっと坐っている事も出来ない位で、善言讃詞を奉唱しながら明主様に懸命にお縋りしていましたら丁度その時にパッと電灯が点きましたので、思わず頭を上げて御神体を拝しますとアッ、何と申訳ない事でしょう。今まで種々有難い御蔭を戴いておりながら、壁の間から流れ出る泥水ですっかり汚れ濡らしてしまったのでございます。私と妻は台風も家の揺れるのも忘れて御神体を早速巻いて納め、階下へ子供や夜具を運び子供はやっと寝かしつけ、御神体をしっかと握り締め階下へ降り、唯々御詫びするばかりでした。外はまだ物凄い風が吹き荒れています。その中にも電灯は又消えましたのでじっと坐り込んでいる私を気の毒に思ったのか母が「濡れたまま巻込んでは反って悪いから掛けて乾かした方がよかろう」と言いますので、思い切って真暗闇の中に手さぐりして壁に掛けて夜具の中にもぐり込み、何か恐ろしい気持で御神体の方を見る事も出来ませんでした。私の家は昨年夏から支部にお使い戴いていますのでA先生を毎日御迎えして近所の信者さん達が御参りに来られる時、何と報告したらよいかと信仰の足りない私は世間体を気にして本当に逃げ出したい気持でその一夜を明かしました。
夜明けと共に風も凪ぎ、早々寝床より起き御神体を一寸見ました時、私は再びアッと叫び自分の眼を疑いながら妻を呼びました。世の中にこんな奇蹟があるものでしょうか、昨夜あれ程汚れ濡れた御神体が何の異常もなく、綺麗にして濡れた形跡すらないのでございます。私は夢中になって御礼拝を繰り返すのでした。早速元気付いて二階にかけ上りますと床の壁土は落ち床柱も畳も泥水で荒され、足の踏み場もない状態でした。再び階下に降りて沁々と拝みました。全く夢で然も事実で何とした奇蹟でしょう。何も分らない母や弟は「あれ程荒された床の間に掛かっていたとは思えぬ」と頭を捻って不思議がっています。私達も今迄数々の御利益は戴いていますが、これ程大きな力を身に受けて感泣の外ありませんでした。その翌日はA先生も信者さんも見えませんので、応急手当をして二階の床の間に御掛け申し上げました。その翌日A先生にその由を申し上げさして戴きましたら、益々御神業に励むように申されました。有難い事でございます。
今年六五歳の母も種々奇蹟を見聞し又自分の不治の病、臓病も御浄霊を戴いて急激に浄化を戴き目に見えて快方に向いましたのでこの御道の偉大さに感激して、長年の〇〇教信仰をやめて一一月末に入信さして戴き、三〇年来あったこともない下痢の浄化を戴くなど大変に体の調子も良くなって来たと感謝して居ります。
台風で荒された床の間の壁も間もなく意外な所から意外な金が這入りましたので、弟と二人して素人修理致しましたが意外な出来ばえに綺麗になり、唯今は雨漏りもなく愉快な日を過さして戴いています。今までは私達親子と母弟は別世帯で暮していましたが、炊事も一世帯となり明るい和やかな生活となりました。弟はまだ○○教青年幹部をしていますが私達と同信になる日を待っています。この御蔭、この御恵みに感謝しつつ微力ながら一人でも多く御道に誘い地上天国の幸福に生活し得るよう念願致して居ります。
明主様、誠に有難うございました。
(昭和二六年二月二八日)
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東京都 H・Y
私は昭和一八年に入信させて頂きましてより数々の御守護を頂いて居ります。この度は営業用電話を引込むに当りまして大変な御守護を頂きまして、茲に謹みて御礼の御報告をさせて頂きます。
私は一九年の九月に強制疎開で現在のS町三丁目より七丁日に引越しましたが、三月一〇日の空襲に焼出され、一時葛飾区のK町に居りましたが、二五年七月には元のS町三丁目へ戻る事が出来ました。私は鋳造所を経営致しておりますが、どうしても電話の必要に迫られ申し込みましたところ、二六年になり、電話局より「三万円払い込んでもらわねばならないがそれでもよいか」といって来ましたので「何でも彼んでも必要だからお願いします」と依頼したのですが中々に引いてくれそうもありませんでした。二七年になり、又局から話があり、今度は「電話公債四万円を買った外に工事費として三万四〇〇〇円かかるがそれでも承知か」といって来ましたが、「それでも結構だから是非欲しい」と頼みました。その後にある人に聞きましたところ「お宅では以前から電話が引いてあって、疎開になって電話機を局に預けてあるのだから四万円の公債は買わなくても済むかも知れない」といわれたので、本当かどうかもう一度調べて下さいと頼んで置きましたが、やがて返事で、「疎開証明をもらって提出したらよい」といわれ、早速に区役所より貰い局へ提出致しました。でもどうした訳か矢張り七万四〇〇〇円払い込む様に局から通知が参りました。私は今までも度々申し込んでも中々引いて貰えず、営業上どうしても必要だし、それに今引かないと又二、三年は後れてしまいそうなので、二月一一日の中教会の月並祭に御参拝致し、明主様、大光明如来様に御守護をお願い申し上げました。さて四万円は後で払うとして、ともかく三万四〇〇〇円だけ持って疎開証明と一緒に局へ提出致しました。すると一寸調べておった係員がどういう訳か「四〇〇〇円だけで宜しいです」といって四〇〇〇円だけの受領証をくれました。私は吃驚してしまい、嬉しいやら気味が悪いやらでしばらく色々と考え込んでしまいました。たった四〇〇〇円? 疎開証明を出したとはいえ、現に近所の知人なぞは電話機がありながら七万四〇〇〇円も支払って居ります。私は機械が局預けになっていながら四〇〇〇円で引けるとは、全く御守護によるものだと深く感謝申し上げました。疎開証明にしろ普通はそう簡単に貰えないのに直ぐ間に合わしてもらったばかりか、近所でも大勢電話を申し込んでありながら容易に引いて貰えずにいるのを、私が一番早く引いて貰う事が出来たのです。早速に熱海御本部へ御参拝させて頂き、御礼を申し上げさせて頂きました。
明主様誠に有難うございました。
(昭和二八年四月一七日)
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熊本県 I.M
私の家庭は五人家族であります。或日妻が突然光明如来様の有難い御利益話を聞かされましたので、思わず知らず妻の希望の儘二三年八月に入信さして頂きました。その後しばらくして私が中耳炎になり耳の周囲は真赤に腫れ四〇度余りの高熱に苦しみました。その時半信半疑乍ら咄嗟の事とて医者に走ることも出来ないので、御浄霊を頂いてみました。約四分位やって頂きましたところ今まで四〇度余りもあった高熱が平熱まで下り又耳の痛みも無くなり今まであんなに苦しんでいた私も普通の様になり今更乍ら浄霊の力の偉大さにびっくりしました。そしてこれこそほんとの神様の御力であると確信致しまして早速K先生に御願して教修を頂きました。
昭和二三年一〇月二三日こそ私の再生の日です。
ついで光明如来様も奉斎さして頂きました。その後色々と御利益を頂きまして只今では五人共入信させて頂き家中喜びの日を送らせて頂きつつ又私もこの偉大なる神様の御力に依り世の病苦で悩んでいられる人々を数知れぬ程御救いさせて頂いています。
就きましては昨二五年一二月一八日に頂きました偉大な御守護を御報告させて頂きます。それは私が隣村の精米所へ用件があって赴きました。その精米所の機械の調子が悪いので調べる積りで中段シャフトの個所へ上りあれこれと手伝いしていました時、一寸したはずみでサッ! とシャフトに巻かれ「ハッ!」と思う間も無く私の上衣は無茶苦茶に破れ後一廻りで私の体までも巻かれ様とする刹那私は大声で「モータを止めろ」と叫ぶと共に今まで全回転していた七馬力半のモーターがスイッチを切らぬのにぴったり止りました。その時丁度腋の下まで巻込まれていました。その場に居合せた人々はてっきり私が死んだものと思ったそうです。びっくりしている人々を促して静かに逆回転してやっと巻込まれた上衣を脱して降りて来ました。上衣からシャツまで皆手元から腋までスーッと切れていますが、膚には何のかすり傷さえありません。皆は「不思議だ不思議だ」と只私の顔を見つめているばかりでした。私は早速心の中に明主様に御礼申し上げまして居合せた人々に光明如来様の御利益話をして我家に帰りましたところ、家内中が私の着物の様子を見て驚き、早速「大光明如来様」に一家揃って御守護の御礼を申し上げた次第でございます。
その後益々偉大なる神力に依り家内一同明るく楽しく信仰の道に邁進させて頂き御道発展の為精進させて頂いております。
(昭和二六年三月五日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)