京都府 D・H
入信以来数々の御守護を戴き、一家明るい光明に満ちた生活をさせて頂いて居ります。茲にその一端を御報告させて頂きます。
本年正月二日大阪にて自動車の運転手を致して居ります私は、午後一時頃天保山より野田阪神まで客を二人乗せて五〇キロのスピードで進行して居りました。玉川交叉点へ来た時、正月の事にて信号もなく、魔がさしたとでも言うのでしょうか、左右も見ずに渡ろうとした瞬間、これも信号がない為超スピードで走って来た電車と、アッ、シマッタ! と思った瞬間「明主様御守護を御願い致します」と夢中で叫びました。そしてこの大奇蹟が生じたのでございます。当然電車の下敷ぐらいとは思って居りましたのに、見物人があれよあれよという間に、自動車は三〇米引ずられて居りました。自動車はと思うと大破もせず後部のフェンダーが少々痛んだのみで無事でございました。
駈けつけた交通巡査が余りの不思議さに、唯頭を左右に振り「普通なればこれだけ両方がスピードを出しておれば、電車は大破、自動車はめちゃめちゃだろう。こんな奇蹟はない。君はよほど運の良い男だ、帰ったら神様を拝んでおき給え」と言って居りました。勿論客二人は無事にて行先まで送りました。私は本当に心から有難いと思いました。早速K支部へお参りさせて頂き、御神体に御礼申しました。その時の気持何とも言葉で言い表わすすべも知りませんでした。
日々の信仰に足りないところがあるばかりに戴いた御気付の御浄化とは存じますが、それにつけても無事であった事の有難さ、今後は一層性根を入れかえて、御道に精進致すつもりでございます。
明主様謹んで厚く御礼申し上げます。
(昭和二八年二月一日 )
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岩手県 T・M
明主様謹んで御守護の御報告申し上げます。私は岩手県H温泉T変電所に勤務して居る者でございます。昭和二四年初めて尊き御道の御話を承り、入信さして頂きましてより御守護の下有難き数々の奇蹟を頂いておりまして、毎日感謝のその日その日を過さして戴いて居りまして厚く御礼申し上げます。その内特に大きい奇蹟を御報告申し上げさして頂きます。
昭和二五年一〇月稗貫郡N温泉に馬車で電柱を運搬しての帰り、馬は何を驚いたものか不意に駆け出し、馬車屋さんは止めるべく手段を尽くしましたが一向止らず、益々気違の如くになり物凄い音をたてて道路の善し悪しも上り下りの境もなく危険極まる大スピードであばれるのでございました。その内馬車屋さんは荷馬車の上より振り落され、その瞬間馬に蹴られ、私だけは危険を犯して荷馬車に堅く摑って居りますが余りの速さの為に飛び降りる間もございません。その内次第次第に身体は前方に進み、遂に左足を馬に蹴られました。私はその瞬間明主様を念じてすべてを神様に御任せ致しました。すると道路が一二〇度位のカーブのところにさしかかり馬車の梶棒の鉤が双方一度にパッとはずれ馬は矢の如くに駈けて行きましたが、荷馬車は速度が落ちて道路の岸にある桜の木に激突し、私は何回転したか知れませんが数間離れた畑中に放り飛ばされましたが、何等の受傷も負わず全く不思議でなりませんでした。もしその時梶棒の鉤が片方がはずれたものならあの速度で荷馬車が転覆し当然生命が無かったものを、双方の鉤が同時に外れた事は実に神様の御守護に外ならず、この奇蹟に只々手を合わせて感涙致しました。
次に一昨年八月の事、勤務して居る営業所より一キロ位離れたところの精米所の動力が故障している為電柱に登りました。先ず碍子型スイッチを抜いて見ますと、ヒューズが三個所切れて居りました。それで三台のトランス(変圧器)の中に何れか焼きついていると思い、ヒューズを入れ二個の碍子型スイッチを入れ、もう一個を入れようと思いましたが万一の危険のある事を考え、身体の位置を移動し残りのその一個の碍子型スイッチを差込むや四ポールに張っている電線全部からアークが出て物凄い煙に取り囲まれ、下で見て居る人夫達は私の身体は一向に見えぬし生命は駄目だと見たそうです。この放電事故が変電所のメーターに現われ、直ちにスイッチ変電所で切りましたので間もなく付近一帯のアークが晴れました。その時何等生命に異常なく焼傷一つ負わず柱上に立っている私の姿を見て実に奇蹟中の奇蹟で、現場に居る人々も一同只々神様の厚い御守護に感涙致しました。今後は御守護の下御道の御用に働かして頂き、御高恩の万分の一に酬ゆるべく努力して頂き、御聖旨に沿い奉るべき覚悟でございます。
明主様誠に有難うございました。
(昭和二八年二月一日)
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大分県 T.I
私は昭和二四年一二月一日入信を許されしよりこの方数々の御利益を頂きましたがその内で特に驚異に値いするものをここに御礼と共に御報告して頂きます。
私は理髪の傍ら副業として銭湯業を経営しているものでございますが、農村の関係上料金安にて水道は引けず、これが為二ヵ所に井戸を持ち、モーターにて水揚げをして居ります。処が大量に水を使用致しますと次第に水質は悪化致し、パイプの内径は小さくなり、遂に浴槽のウメ水のパイプは多年の水苔硬着し、一滴の水も出なくなり、お湯の熱くなるに従って顧客から頻りと騒がれ、遂に臧声さえ上げる様になりました。サービスをモットーとする我々業者としては大なる黒星にて、頭は早鐘を乱打するが如き焦燥にかられ、急拠して家族を叱咤し馬穴注水に大童です。今思い出しても苦笑せざるを得ません。されどこのパイプはタンク(水槽)より隔る事約二間、それを片仮名のコの字を上に向けた口の様に地下に埋め、コンクリートにて塗装してある関係上、そう軽々と掘り上げて清掃の出来るものではありません。随分と思案を廻らし、地面に露出せるパイプを金銭にて叩く等致しましたが、よく熟考してみると、水のつまるという事は地下に埋めてある屈曲パイプの障害であるべき事に思いを致し、遂に掘り下げを決意致しました処、去る二月頃『救世』新聞四九号にて「四十数日も開かぬ金庫がたった二分の浄霊で開いた」おかげ話を読み「そうだ」と我を覚えず膝を叩きました。「そうだ」 自分は久しく新聞等の御利益集を手にする事を等閑に付していたが、何か心の赴く儘に読まして頂く内フト眼にとまりましたのがこの記事でした。この記事も神よりの御神示であると解し、拝む気持にて夫婦して一心にお願いする事に致しました。先ずパイプを又金鎚にて叩き「天津祝詞」と「善言讃詞」を奉唱する事数回、その間地下のパイプに御浄霊を入念に致しましたが、若しもこのパイプの貫通を見ない時には、結局自分等に対する御加護の薄きものか、又我々の信仰の至らざるものかと、何か恐ろしいものに触れる様な気持で震え乍ら、最後の手段としてパイプに口を当てがい、プーッと吹き出したらこは如何に、出るは出るは、長い三〇日間に固着せし水垢が、続々と吹き出て後より続いて清水の流出せるを見た時は、夫婦共に目頭が熱くなり上気の余り顔は紅潮し、手足の水浸りも拭いもやらず、光明如来様に御礼をと階上に駆け上りし程の嬉しさでございました。光明如来様の御前に額ずき身心を改め、礼拝せし時は只々心の底より感謝の気持一杯にて、頭を上げ得ざる思いでございました。
お縋りする気持に於て、救われる人の病気の形以外に、斯かる物体にまで御浄霊の力の有難さを見せつけられ、ここに万物の霊長としての人間たる者が真剣にこの神様に御縋りせば、如何なる難病も即座に平癒する事疑いなき事を深く強く知らされました。
拙筆をもって御礼と共に御報告させて頂きます。
(昭和二五年一一月六日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)