一般に関する奇蹟 10

長崎県 T.K
昭和二四年五月六日、私が佐世保区内のN町とK町との間を通るトンネル工事の責任者として工事中の出来事であります。

午前一一時ごろ突然現場に騒がしい人声、ハッとして駆けつけてみると工夫が枠入作業中、頭上の土砂が崩れて右腕をスッポリ埋めてしまっている。その上に落ちて来た岩は直径一尺五寸くらいもあって、腕は押しつけられたまま、どうしても抜けません。重さはかかり、苦しみは増すばかり、皆は鶴嘴で掘り出そうと試みるが一向にききめはない、腕を切るか腐らすか、生命にもかかわるかも知れない。その時、ハッと電光のように頭に閃いたのは光明如来様の御光のことなのであります。そうだお縋りしてお願いして頂きましょうと合掌して光明如来様にお願いし、今は人力を以て如何とも出来ない大岩に向って敢然と掌を翳し地軸にまでも通れとお光を透させて頂きました。

約二〇分間くらいも御浄霊させて頂いた頃でしょう。さしもビクともしなかった腕がヒョ イと抜けました。本人は最早夢中ですが、私はこれをみて驚きと喜びで胸一ぱいになりました。念被観音力とは全くこの事でございましょう。しかも引抜いた腕には怪我一つありません。ただ圧迫されていたため手頸の所から「く」の字なりに曲って冷くなっています。皆の者はそれ医者を呼べ、連れて行けのと騒ぎますが、私は「いや大丈夫、わしに任せろ」と現場から三〇〇米くらい離れた事務所に連れて行き約一時間ばかり御浄霊させて頂きました。冷えきった腕は次第に温かくなり、曲っていたのが伸び手頸が自由に動くようになったのです。そして痛みもなく、普通の状態にかえりました。午後は平常と同様に仕事をやり翌日も何ともありません。

光の事を知らない人はただ運がよかった、奇蹟的に助かった、というだけで無関心のうちに救われる機会を自ら逃がしているようであります。私の如きものですら光明如来様の御用にお使い頂けるかと思う時、天が下何事が起ろうとも光明如来様におすがりしておれば大丈夫という確信が出来、今にして初めて自分は光明如来様の大船に乗せて頂いていたと知り今までの私の報恩感謝の足らなかった事を恥ずかしく思うと共に、この地上天国建設運動に馳せ参じさせて頂かねば申訳ないと深く決意致しました。

(昭和二四年八月二〇日)

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大阪府 T・T
私の主人は一年有半の間肺浸潤にて色々と手を尽くして苦しんで居りました。或る時御友達のN様よりこの御道のことを知らせて頂き、わずか一週間に五回の御浄霊を受け全治致しました。あまりの御利益に感服しまして昨年三月入信させて頂きました。そして四月には私も入信させて頂き、その後、今日まで数々の御神徳御守護を戴きましたが、そのことは近い内に主人より御報告させて戴くと申して居りますので、この度は表記の件に就き奇蹟的に御救い下さいましたその喜びを拙文乍ら御報告させて戴きます。

去る七月二一日、午前一一時頃の出来事でございます。丁度その日はY中教会S支部の月並祭でございました。門の側にある井戸端で洗濯を仕かけた時末っ子のKがついて来て井戸端に寄りかかって「ああ」と叫びますと中に響きますので面白くなって来たのでしょう。段々と頭を下げて「ああ」と言うことを繰返している内に危ないと振返って見た時はもう遅く、摑まえる暇もなくズルズルと真逆様に井戸の中に転落致しました。さあ大変です。主人や長男は支部の月並祭にお参りして留守ですし、急いで梯子を取って来て井戸の中を覗くと何と不思議な事ではありませんか。首から上は水面上に浮いてトマトを持った手を上にあげて盛んに救いを求めて居ります。深さは四尺程あり全然背は立ちません。勿論水心の知る筈もないにかかわりませず、丁度水泳の立泳ぎをして居る様な形で口まで水が来て居るではありませんか。あわてて梯子をおろす間も無く早速ツルベをおろして縄を持たせました。そして梯子を下して小学四年生になる子供と二人がかりでやっと引上げました。早速御詫び致しまして御守様を調べて見ましたところ外袋はぬれて居りましたが中は全然ぬれていません。御守護戴いたと早速御神体に御礼を申し上げまして子供を御浄霊させて頂きました。御浄霊させて頂き乍ら良く聞いて見ますと水は一滴ものんで居りません。又掠傷一つして居りません。その夜もスヤスヤと良く眠りました。この子も去る二月に御守様を御受け致しました。本当に御守様を頂いて居て良かったとつくづく思いました。御守護戴いたことを考えますと、昨晩長男のSが「明日の月並祭には父といっしょに自分も御参拝する」と申しましたので、田の草取に行くところを人手のない為私も休み家に居りましたが、若し長男と二人で田圃へ行き、御祖母様一人であったならどんなことになって居たことかと思えば思う程有難く、目頭が熱くなって来ます。如何に仕事よりも御参りが大事であるかということを悟らせて頂きました。

今後は御許しのある限り教会や支部の御祭には御参拝させて戴きます。又主人は家業のいとまいとまに御守護の万分の一でも御恩返しさせて戴くと一生懸命です。私も今後より一層御協力させて戴く積りでございます。乱文にて誠に恐れ入りますが謹んで御報告申し上げます。

明主様有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。

(昭和二七年一〇月二五日)

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和歌山県 K・S
雨は激しく降りつける中に、傘をさしても只濡れないのは頭のみ、恐怖は募りますが、只もう明主様、光明如来様に一心に御守護お願い申しつつ、御浄霊と共に善言讃詞を何回もくり返しておりました。増水はやむどころではなく、みがかれた石垣を徐々に隠してゆきます。しかも、丁度その問題の石垣の所を通って雨水が滝の様なはげしさで田に落ちております。石が一つ一つ今にも水と共に田に落されそうな激しさ、併し大いなる御守護により、少しの動きもない内に、もう殆んどの石が隠れる程の増水となりました。

「さあ、こうしてはいられない」部屋にある主だった品だけ本宅の方へ移さなければ。そうして母と再び石垣の所に来て見れば、何時の間にか風の向きがすっかり変り、西から風がややはげしく吹き寄せ、波が音を立てて家に当っているではありませんか。「ああ」これでは石垣がくずれるより他はない。私達はすぐ御神前に進み、善言讃詞をおとなえし、明主様明主様と、心でくり返しつつ浄霊の為石垣の方へ馳せつけました。

ああ何たる御守護であろうか、矢張波は立っては居りますが、石垣のすぐ側まで立って来た波が、すーっと音もなく消えるのです。絶対の御守護をいただき、最高神におすがりさせていただいて居ります幸福を、その時程強く感じた事はございません。どんな場合に面しても本当に安心立命、その喜びに浸りつつ、有難い御浄霊を続けておりますと、奇蹟的に一間向うまでで波は全然やみ、ほんとに穏やかな水面を眺めさせていただきました折、とめどもなく胸に熱いものがこみあげてどうする事も出来ませんでした。

夜ふけの一二時、やっと父母三人御神前に進み何時ものお祈りと共に、大いなる御守護のお礼を深く申し上げました。「有難うございます。本当に有難うございます」只それより他にいずる言葉なく胸が一ぱいです。

垂れた頭を更にさげ、今後の御守護のお願いを申し上げて床につきました。先程の心配などもどこへやら、色々と疲れた体は知らず識らずやすらかな眠りに落ちておりました。

翌朝一二日、風は少くおだやかな水面、しかし水は、ほんの少し引きました程度です。又、父は朝のお祈りすみ次第堤防の方へ出かけました。神様に御守護のお願いを・・・・・・と言い残して、正午まで御守護に御守護を戴きつつ水は石を持ち去る事なく元通りの磨かれた石垣が神の霊衣に包まれた如くに現われました。

私達一家の喜びはたとえようもありません。明主様、誠に有難うございました。

大光明如来様厚くお礼申し上げます。神様の御恵みを限りなくいただけます事のこの上ない喜びに、只心がしめつけられる程の有難さをジーンと身に感じます。

明主様、重ねて深くお礼申し上げます。

(昭和二七年八月七日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)