寸鉄 (光新聞三十七号)

言葉でスルんだから、言うスリ即ちユスリと申します

コワシ屋にも種々ある、内閣を壊す反対党、新宗教を壊す新聞屋、夫婦の仲をコワスお妾-とはどうです

悪人を槍玉にあげる本教を槍玉にあげる新聞を槍玉に上げる光新聞ではある

蛆虫が床の間へ上らうとするので、汚いから箸でつまんで糞壷へ打っちゃっちまうという意味が分るか

今の社会を観ると、古道具屋の店先のようだね、ガラクタばかりで

浄霊と汲取屋とどれ程違う、片っ方はお腹の中の汚物を掃除する、片っ方は外へ出たのを掃除するんだから

悪人の怖ろしいのは善人で、善人の恐ろしいのは悪人で、悪人の邪魔をするのは善人で、善人の邪魔をするのは悪人で、悪人は善人があるから飯が食え、善人は悪人があるから損をするア丶くたびれた

善人は悪人を馬鹿といひ、悪人は善人をあまいという、とすれば世の中は馬鹿とあまい奴ばかりという事になるね

本教はいつも医学のアラ探しをするので、お医者さん曰く「観音教って奴は実に馬鹿だよ、医学を褒めれば、吾々も協力してやるんだがなア」と、言ふか言はぬか判らない

利口ぶるのが馬鹿で、馬鹿になるのが利口で、おとなしい人が大胆で、威張ってゐる奴ほど小胆で、欲張る奴が損をし、金を欲しがらない奴には金が転がり込む、之が判ったら及第だよ

(光新聞三十七号 昭和二十四年十一月二十六日)