著述編

光新聞

寸言

今世界的大戦争の真最中といったら驚くだらう。それもその筈、眼に見えない-神と悪魔の大戦ひなんだ。サテ どっちが勝つか 実に興味津々たるものがある。本教を発展させてくれるものは医学である-と聞いたら喫驚するだらう。処がだ病人を片っ端からお医者...
光新聞

熱海の天国化

昭和廿四年五月廿八日静岡新聞に左の如き記事が掲載されていた。【共同】戦後はじめての観光団として去月廿九日G・ゴードン号で来訪したハワイの一世、二世は東は日光から西は阿蘇別府など、廿一日間のスケジュールを無事終り、さる廿日からはそれぞれ思出懐...
光新聞

時期を待て

社会各方面を備(ツブ)さに観察する時、失敗者の余りにも多い事である。処が失敗の結果として、御当人だけの苦しみなら、行り方が悪いとか 運が悪いとかいって諦めてしまえばそれで済むが、実はそれだけでは済まない。では何かというと、一人の失敗が家族...
光新聞

悪銭身に着かず

昔から悪銭身に着かずという言葉があるが全くその通りである。それに就て私は霊的に解釈してみよう。投機といえば、株式相場を初め、商品の上り下り、競馬の賭等々種々あるが、その中の代表的のものとして株式相場に就て解釈してみるが、私も無信仰者時代には...
光新聞

天国化と健康問題

本教が常に唱うる地上天国とは如何なる世界を言うのであるか、と今更改めて言う程の事もない。御承知の如く何回となく繰返しているからで地上天国とは言う迄もなく、全人類の三大苦悩である処の病貧争の三厄除去であって、勿論此三災の主要条件としては病気の...
光新聞

寸言

産制論者は「子供の数は一夫婦で二人乃至三人が適当」-といふが、之は可笑しな話である。子供は死なないといふ事を前提とするならば兎に角、二人や三人では全部死亡するといふ事もあり得る訳である。とすれば、子のない不幸な家庭がウンと殖える事は勿論であ...
光新聞

信仰は信用なり

抑々宗教信仰者は世間無数にあるが、真の信仰者は洵に寥々たるものである。然らば私は真の信仰者とは如何なるものであるかを書いてみよう。如何程立派な信仰者のつもりで自分は思っていても主観だけでは何等の意味もない、どうしても客観的にみてのそれでなく...
光新聞

悲劇を滅する

此世の中に於て人間が最も厭ふのは悲劇であらう。悲劇を全然無くする事は不可能であるが、或程度軽減する事は敢て難事ではない。それに就ては先づ悲劇なるものの正体を検討してみよう。事実、悲劇なるもののその原因の殆んどが病患からである事は厳然たる事実...
光新聞

宗教は奇蹟なり

宗教と奇蹟は切っても切れない関係にある事は、昔から幾多の文献によっても明かである。もし奇蹟のない宗教でありとすれば、それは最早宗教とは言はれない。何となれば奇蹟は神が造るのであって、人間の力では一個の奇蹟も造られ得ないからである。故に奇蹟の...
光新聞

産制問題の別の観方

今日本が切実の問題として論議の的になっているものに産児制限問題がある。いうまでもなく此問題の動機は敗戦による国土狭隘になった結果として、八千万人口を養えるだけの食糧が二割乃至三割位が不足する。といってそれだけの不足分を補えるだけの国土を拡張...