岡田茂吉

栄光

現当利益

本教は、自画自讃ではないが、現当利益の素晴しい事である。昔から幾多立派な宗教が生れ、今尚キリスト教、マホメット教、仏教の三大宗教を初め、有力なる宗教がそれぞれの地位を確保してゐるが、其殆んどは出発時から、精神方面の救ひを専らとして来た事は誰...
栄光

日本人は欲がない

日本人位、無欲な民族はないと言ったら、読者は定めし驚くであらう。処が立派な事実であるから仕方がない。只多くの人は気がつかないだけである。それを今かいてみよう。実例を挙げてみれば、今日の日本人は、信用といふ事に余り関心をおかない。例えばいつか...
栄光

優しさと奥床しさ

凡そ現代の人間を観る時、最も欠除してゐるものは、優しさと奥床しさであらう。先づ茲では本教を主としてかいてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み、身魂がどの位磨けたかを知るには一の標準があって、これは左程難しい事ではない。何よりも人と争う事を好...
栄光

世界画の完成

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である。抑々現在ある処の凡ゆる既成宗教は、それぞれの特異性があって決して同一のものはない。といふ事は深き神の経綸によるのであって、今日迄その意味を説いた...
栄光

糞の弁

糞の弁とは、詰めれば糞便と言ふ事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸はせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸ふのであるから、謂はば人間といふ万物の霊長は、糞溜といってもよからう。だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ。赤ン坊によく湧く蟯...
栄光

正愛と邪愛

信仰は愛なりとは、よく言はれる言葉だが単に愛といっても色々ある。正なる愛、邪なる愛、大なる愛、小なる愛というやうに、多種多様である。此様な訳であるから、信仰者は愛に対しても正しい認識を失ってはならない。先づ、其例を挙げてみるが、正愛に属する...
栄光

迷信の定義

迷信の定義などとは、今日迄余り言はれない言葉だが、実は迷信にも定義があるのだから面白い。迷信でないものを迷信とみるのも一種の迷信である。善いと思ってする事が悪い結果になるのも迷信の為である。効かない薬を効くと思って服むのも、それを人に勧める...
栄光

新人たれ

人は常に進歩向上を心掛けねばならない。特に信仰者にして然りである。処が世間宗教や信仰などを口にすると、どうも古臭く思はれたり、旧人扱ひされたりする。成程在来の宗教信者は、そういふ傾きがあるのは否めないが、本教信者に限っては全然反対である。否...
栄光

どちらが迷信だ

一口に迷信といふと、どうも宗教に附物のやうに思はれるが、実は迷信は宗教には限らない、如何なるものにも迷信はある。唯気が付かないだけである。勿論科学にも、政治にも、哲学、教育、芸術にも悉く迷信がある。否迷信が多すぎて困る位だ。之等幾多の迷信に...
栄光

天国は芸術の世界

私は常に天国は芸術の世界なりといふが、単に之だけでは余りに概念的である。成程美術、文学、芸能等が充実する事も、右の通りで大いに結構ではあるが、本当からいふと凡ゆる芸術が揃はなくてはならない。否芸術化されなければ真の天国とは言えないのである。...