糞の弁

糞の弁とは、詰めれば糞便と言ふ事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸はせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸ふのであるから、謂はば人間といふ万物の霊長は、糞溜といってもよからう。だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ。赤ン坊によく湧く蟯虫などは白い細い虫で、先づ小型の蛆虫である。斯のやうに糞尿肥料を有難がってる日本人位、汚ない人種はあるまい。

それで判った事は、日本語には糞に関した事が非常に多い。先づ第一大祓の祝詞の中でさへ、屎戸許々太久(クソヘココダク)の罪といふ言葉もある位だ。従而、日常使ふ言葉にも沢山ある。先づ眼糞、鼻糞、耳糞、歯糞は元より糞ッ垂れ野郎、何ッ糞、糞でも喰へ、糞面白くもねへ、糞味噌に言ひやがるだの、屁ッピリ虫奴、屁みたいな話だ、屁の河童だ、屁でも嗅ぎゃがれ、尻でもしゃぶれ、尻の穴奴、尻メドの小ッポケな奴だ、尻を持って来やがる、尻ぬぐいをさせられた、尻切りとんぼ、蛆虫野郎、蛆虫同然、蛆虫毛虫だとか、彼奴は、チト臭ひぞ、臭ひ訳があるんだよ、臭い事をしてやがる、臭い仲だ、臭い物に蓋をする等々、まだまだあるだらうが、ザットかいただけで此位としたら、日本は全く威張れない国だよ。とすれば我が自然農法が行き渡る暁こんな嫌な言葉は、過去のものとならう。如何です、諸君、之だけかいたんで腹の虫も少々治まったやうだ。ヘーサヨウナラ。

此様にあんまり尻からこき出すやうに言ふと、糞イマイマしい、といって尻をまくってブーブー言ってくる奴があるかも知れないから、こちらもヘーヘー言って屁コタレない内、此辺で屁をひって、尻つぼめとしよう。

(栄光七十四号 昭和二十五年十月十八日)