世界画の完成

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である。

抑々現在ある処の凡ゆる既成宗教は、それぞれの特異性があって決して同一のものはない。といふ事は深き神の経綸によるのであって、今日迄その意味を説いたものはないようである。本来なれば今迄に唯一の立派な宗教が生れてゐたならば、人間はそれに満足し、帰趨に迷ふ如き事はない筈である。随而、何等論争の必要もなく、宗教の種別も分派もなく、教義の異端もなく、和気藹々裡に一目標に満足し、実に理想的であるに拘はらず、今日の如き混沌なる世相は生れない筈であるに拘らず、そうでないのは、実に、大いに意味があるのであって茲に其神意を闡明(センメイ)してみようと思ふのである。

世に計画といふ言葉があるが、此画といふ文字に深い意味がある。といふ事は、今日迄の既成宗教は、世界的大名画を描くに必要なる幾多の絵具であったのである。処が時期到来いよいよ多彩な画面を纒める事となり、構図も理想通りのものが出来上り今や大画伯が最後の腕を揮ふべき直前となったのである。勿論画題は地上天国であり、画伯は誰あらう偉大なる救世神霊である。随而現在迄の物の観方では、此雄大なる構想の一部さえも窺知する事は容易ではないのである。

以上は宗教方面に就てであるが、それに伴って他の凡ゆる思想文化と雖も、地上天国完成へのそれぞれの使命を以て、歩調を揃えての前進が今や始まらんとするのである。実に斯事を思ふ時、吾等は血湧き肉躍るの感なくんばあらずで、此千載一遇の好機に生れたる光栄を惟い、大経綸に参加せる此歓びを神に感謝する次第である。

(栄光七十五号 昭和二十五年十月二十五日)