今日結核療法は進歩したと一般は信じてゐるが、成程外形的には進歩したやうに見えるが、事実は全然異ってをり、只一時抑へが巧妙になり、死期を幾分延ばせるだけの事である。それは治ったと言はれる患者を診断すれば、症状は依然として些かも治ってはゐない事で、之は医師も認めてゐる。即ち空洞は依然たるものであるばかりか、気胸の為肋膜に故障が出たり、肋骨の何本かが切り取られ、ヤッと生きてゐるにすぎない有様で、一人前の運動や仕事さへ、再発の危険ありとし、ビクビクもので生きているだけの話である。
而も、それまでに多額な治療費と、長い間の休業等で経済難失業難に陥る等々、可哀想なものである。之が結核療法の進歩として誇ってゐるのだから、全く悲喜劇というより外に言いやうがない。左の例はそれをよく物語ってゐる。
整形手術直前に救わる
(本文省略)
(医学革命の書 附録(おかげ批判) 昭和二十八年)