結核の病原

今最も日本で難問題とされてゐる結核に就て、徹底的に説明してみるが、結核は大体感冒から始まるとしてゐるが之は誤りで、実は斯ういう理由によるのである。既記の如く感冒に罹るや、液体毒素即ち痰が一旦肺臓内に停滞する場合、医療は之を凡ゆる手段を以て排泄させないやうにする。其為解熱し咳といふポンプ作用も停止されるので、痰はそのまま肺臓内に残り固り、治ったやうに見へるのである。そこで安心してゐると又風邪を引く。何しろ折角出やうとした痰を固めた以上、再び浄化作用が起るからである。その時医師に診て貰うと、風邪の症状の外に肺内に痰の固りがあり、ラッセルも聴え、レントゲン写真にも溶けかかった痰が雲翳状に映るので、茲に結核初期と診断するのである。之によってみても分る如く、初めから肺に病はなかったのを、医療が凡ゆる手段を以て作った訳である。それを一層詳しくかいてみるが、元来体内各局所に固結した毒素が浄化作用発生するや、一ケ所乃至数ケ所から溶けはじめた痰は、間髪を入れず肺を目掛けて浸入するのである。そうして毒素固結個所としては、頭脳を中心に首の周り、肩、肋骨附近、背部、腹部、股等の順になってをり、之によってみても結核の根本は体内全部といってもいいのである。此発見こそ全く世界的のものといってもよからう。

以上によって肺臓なるものは、言はば痰排泄の為の取次所の役目をしてゐるのである。処が之を知らない世人は、よく胸の病などといふが、之はナンセンスで全然的外れであり、全く医学が胸部疾患に作り上げたものであるのは明かである。そうして何といっても医学は、結核問題の焦点は結核菌とされてゐる。之に就ては医学の盲点を充分開明しなければならないが、右の如く肺内の痰の固りが古くなって、腐敗するから菌は湧いたのである。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、而も体温といふ好条件が拍車をかけるに於てをやである。その結果菌は益々殖え、肺胞を蚕食するに至り、空洞が出来るので、それが写真に映るや医診は悪性と断ずる為、それを曰はれた患者は精神的大打撃を受け、失望落胆急に悪化するのは誰も知る通りである。以上の如く、最初の風邪から真症結核になるまでの経過をよく検討してみると、全く誤れる医療によって作られた事は、余りに明白である。

又肺浸潤は肺の外部にあった薬毒の固りが溶けて、肺に浸入し痰になって出やうとする病気で、之も自然にしてをけば出るだけ出て完全に治るものを、医療は固めて出さないやうにするから、結核に迄進展するのである。又肺門淋巴腺と肺尖加答児は、首肩の凝りが溶けて肺の上部から浸入する、それを曰ったもので、之も自然なら簡単に治るのである。

又肺壊疽は肺の内部から外部へかけての腫物であり、粟粒結核は肺胞に出来た湿疹であるから、放っておけば血膿が出るだけ出て必ず治るのである。その他喀血及び血痰は濁血が出るので、結構な浄化作用であるから、医学でも喀血性は治りがいいとされてゐる。斯うみてくると結核は治るに決ったものであって、治らないのは医療が治さないやうにするのである。此事が分ったなら結核医学は百八十度の転換とならざるを得ないであらう。今日結核が益々増え、その対策に腐心し、莫大なる国費を支出しつつあるその無益なる努力は、到底黙視し得ないのである。

茲で菌に就て徹底的に説いてみるが、医学に於ては菌の感染を恐れ、菌さへ殺せばいいとして、全世界の学者は殺菌の研究のみに耽ってゐるが、此考え方こそ抹梢的浅薄極まるものである。といふのは菌の感染は結果の問題であって、根本は菌そのものの発生原の探究である。何となれば菌と雖も突如として空中に湧いたものでもなく、何処からか飛んで来たものでもない。湧くべき理由と湧くべき根拠地があって湧くのである。従って仮令菌だけ全滅させる事が出来ても、その根拠地即ち原地がその儘であるとしたら、無意味であるのは分り切った話である。では菌の発生原地とは一体何処にあるかといふ事が問題の根本であり、それが分ると共に、原地の潰滅も可能であるとしたら、茲に結核問題は解決するのである。それらを以下詳しくかいてみよう。

之を説くに当っては、先づ人間の霊に発生する曇りを知る事である。本来霊の本質は無色透明にして、最も稀薄な一種のエーテルである。此エーテルはその密度の高い事は、今日の顕微鏡の何百倍でも見る事を得ない程の超微粒子であって、それへ発生する曇りというのは不純水素の集合体であって、即ち純粋水素中に異物が混合してゐるのである。では右の如き不純水素が何故発生するかといふと、之こそ濁血の霊化したものである。既記の如く人間は霊主体従であると共に、霊体一致でもあるからである。此曇りが日を経るに従ひ、或程度濃度化するや、それへ一種のバクテリヤが発生する。此バクテリヤの本質は植物性無機物であって、之が又日を経て有機化するので、之が即ち黴菌の幼虫であり、育って一人前になったものが顕微鏡で見得る菌である。従ってヴィールスとは幼虫から菌になるまでの中間粒子であるから、顕微鏡では見得なくとも、確かに在る事は医学でも認めてゐる通りである。斯う分ってくると右の霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余りにも明かな事実である。

以上によって、仮令、医学によって予期の如く菌を殺し得たとしても、肝腎な発生原地がそのままであるとしたら、後から後から無限に発生する以上、笊に水汲むやうなものである。それは今日迄殺菌薬や殺菌法が現はれても一時的で、いつか消えて了うのもそれをよく物語ってゐる。では根本である菌の原地を潰滅するにはどうすればいいかといふ其方法を次項にかいてみよう。

(医学革命の書 昭和二十八年)