病気は体的症状であり、その本原は霊にある以上、霊を治さなければ病気は治らないのは、前項までに大体説いたが、之に就いて尚詳しくかいてみよう。それは先づ、霊と体との根本であるが、人間なるものは既に述べた如く、霊体は結合一致していると共に、万物の法則としては霊が主で体が従となってゐる。卑近な例だが人間の五体が動くのは、体が勝手に動くのではない。霊の命によって動くのである。としたら霊が主人公であり、体は従属者である。従って病気の場合、最初霊に発生し体に映るのであるから、体のみを治そうとしても、一時的で根本ではないから、勿論霊を治してこそ根治となるのである。処が科学は唯物理念である以上、如何に進歩したといっても治らないのは当然である。度々言った通り医療は一時的、外部的治癒でしかないので、必ず再発するのは、此理を知ればよく分るであらう。右の如く病気は、最初霊に発生するといふその経路をかいてみるが、それには薬毒の作用である。薬毒が体内に入るや一旦血液中に混入されて濁血となる。此濁血が多量の場合は全身的に拡がるが、少ない場合はそれだけ局部的に集まる。そうして濁血は霊体一致の法則によって霊に写ってそれだけ霊を曇らすのである。
処が人体なるものは不断に浄化作用が行はれてゐる以上、濁血を浄血にする浄化活動が絶へず行はれている。そうして濁血が腐敗し変化したものである。之が霊主体従の法則によって、霊の曇りが減っただけは、体に映って濁血及び膿は減る事になる。此過程が病気である事は已に説いた通りである。此理は天然現象にみても分る通り、地上の霊界に汚穢が溜れば、低気圧が発生し、風で吹き払ひ、雨水で洗ひ、天日で乾かすと共に、消滅するといふ作用が自然発生する。之が天地間の浄化作用である。従って人間の病気でも霊の浄化が発生し、体に映るや発熱によって毒素を溶解し、種々の排泄物にして体外へ出すのである。此理によって汚物は出れば出る程、人体は清浄化し健康となるのであるから、浄化作用を援ける事こそ、真の治療法である。然るに何たる事か、それを逆に解し、汚物を出さないで元通り固めやうとする。といふのは既記の如く浄化に伴ふ苦痛を病と称し、マイナス的危険作用と解したのであるから、寔に驚くべき迷盲であった。此考え方が医学を生んだのであるから、之に目醒めない限り、人類は病の悩みから何時になっても解放されないのである。では次に浄霊の原理をかいてみよう。
(医学革命の書 昭和二十八年)