昔から、世の終りとか、最後の審判とか言ふ事が、聖書等にあるが、それを詳しく説いた者は、未だ無いやうである。私は斯事に就て、はっきりとは言へないが、まあ夢物語とでもして、あるとも言へるし、無いとも言へるといふ位の所で説いてみるのである。易者ではないが、当るも八卦、当らぬも八卦位と思って貰えば可い。然し無いとすれば、書く必要もないから、先づ、有るとして書いてみるのである。
私がいつも言ふ、夜の世界が済んで、昼の世界、即ち太陽が赫々たる輝きを以て昇るとする。其夜から昼への移り変りの、凡ゆる物象の変化を想像してみたいと思ふのである。
言ふ迄もなく、夜と昼との、最も異る所は、暗さと明るさである。由来、罪悪なるものは真昼間、公々然と行はるべきものはない。秘密と罪悪は、暗い処で取引される事は、誰もが知ってゐる所である。然らば、此夜の世界なるものは、何年位の期間であったであらふ乎。
私の推測によれば、兎に角三千年以上一万年位と推定されるのである。故に茲では数千年としてをくが、此数千年の歴史を振返ってみても確かに、夜の世界であったであらふ事が肯かれるのである。
国々、人々は、秘密と罪悪と闘争に係りのない時代は、全く無いと言っても可い位で、之を正しい神の御眼から御覧になったら、否、我々凡夫の眼から観てさへも、暗黒時代であったと言ふより外に、言葉はないのである。波瀾興亡常なき、国と人との姿は、夜の空の月の盈虧(ミチカケ)にも比すべく、悪人が、一時的にも時を得、善人が虐げらるる、歴史の姿をみては、全く悪魔横行の世界と思はれるのである。
斯様な、罪悪に充ちた世界が、此暗黒時代が、数千年間も続いた事実を見たら、卓越せる、如何なる時代の識者と雖も、歴史に捉はれて観るのも、無理は無いと思ふ。少くとも一切の批判に之を標準として定義を下して了ふ。優勝劣敗の言葉も、弱肉強食の言葉も、真理なるが如き響を与えるのも、こうした事に由るからであらふ。
然し乍ら仮に、此数千年の歴史から、一段も二段も、否数段も飛躍した処の、高い見地に立って見下してみたらどうであらふ。それによれば、どうしても、此数千年に渉る罪悪堆積の世界が、一度は、徹底的に、清算されなければならない様に、思はれてならないのである。
然し此事は、人の力では到底、駄目である事は判ってゐる。何となれば、人の方が清算される側に立ってゐるからである。故に、万一、清算なるものが在りとすれば、それは、神より外に行へない事は、自明の理である。そこで神が行ひ給ふ、其方法を畏れ乍ら想像して、私はみたいのである。
それは、再三言ふ如く、それが、太陽の輝く、昼の世界になるといふ事である。光明が照し出すといふ事である。然し、私が斯う言へば太陽は、毎日出てゐるではないか。別に、此外に、昼の世界がある筈がないではないかと言ふであらふ。然し、私の言ふのは、霊界の事である。此霊界と現界の関係は、別の項で詳説する筈であるから、茲では無条件に、霊界なるものを信じて読んで貰ふより外、致し方ないのである。
爰で私は、別方面の事実を挙げて論じてみよふ。それは、私が日々病人を取扱ってゐる関係上、医者と異ふ、独特の診断法を以て、各人を査べる時、実に驚愕するのである。それは、凡ゆる人の体内に滞溜されてゐる汚物と言へば体裁がいいが、実は膿汁である。此膿汁と毒血が、肉の中にも、血管の中にも驚く程多量に、如何なる人も有してゐるといふ、想像出来ない程の事実である。私は今日の人間をみて、能く生命を保ってゐるとさへ思ふのである。
成程、患者なれば兎も角、健康な人も、数多く見るが、膿汁の滞溜は病者と大差無いのである。何時重患が起るか判らないといふだけの話である。此事実をみて、数千年間の、夜の世界に呼吸して来たので、其罪穢による、汚濁の堆積であると思ふより外はないのである。即ち、夜の暗黒に相応した人間であるから、今日迄はいい様なものの、若し是等の人が、赫々たる太陽の光明に照らされたとしたならば、一体どうなる事であらふ。想像するだに慄然とするのである。
例えば、暗黒内に棲息した黴菌を、太陽の光に晒したら、どうなるであらふ。又汚濁も塵埃も、夜では、はっきり見えないから可いやうなものの、白昼の明るさは、到底誤魔化し切れる訳のものではない。
之等によって見ても、太陽の光は、白昼の明るさは、凡ゆる汚濁を浄めずにはおかないのである。欺瞞は蔽隠す事が出来ない。秘密は忽ち暴露させる。罪悪は行ひ得ない。不正は影を潜め、闘争は打断(キ)られて了ふ。そうして、凡ゆる物の狂ひは、是正され、社会の機構は合理的に動き、人は、公平なる時所位を得、善は栄え、万人生を楽しむ時代になるであらふ。
唯然し、此光明世界を信じられない人は、此時代に適合しない為に、其時迄に、没落の運命を辿るより致し方ないであらふ。近く斯様な時代が、信ずると信ぜざるに拘はらず、好むと好まざるに係らず、迫って来るとすれば、それを信じ得ない人々の状態は、どうであらふ。今迄隠し蔽せた罪悪が、秘密が、不正が、どしどし暴露して来る。又罪穢に充ちた身体は、崩壊するより致し方がない。
黴菌が、太陽の光に死滅する様にである。斯様に、今迄の夜の世界とは、全然勝手が違ふ時代が来る事は、予期し得らるるのである。国と国とは、闘争の結果、それが双方悪である場合、どちらも滅びるであらふ。正なるもの神の意志に適合する者のみが残存し、そうして栄える事になるであらふ。今日の、国際間の関係をみれば、全世界は、一大争闘と、動乱の渦を起さんとし、それに捲込まれない国は無いと、断言し得られない状勢である。全く、夜の世界の崩壊の、前奏曲とし、観られない事はないと思ふ。
私は、夜から昼に移るといふ、世界的大清算が、設(モ)しあるとすれば、崩壊や滅亡などといふ、忌はしい事の無い様に、平和に、より安穏に、光明世界の来らん事を、念願して熄まない者である。
(昭和十年)