近代医学に於ては、病原の殆んどは細菌とされてゐる。従って細菌の伝染さへ防げば、病に罹らないとする建前になってゐるが、只それだけでは甚だ浅薄であって、どうしても細菌といふものの実体が、明確に判らなければならないのである。といふのは仮令黴菌と雖も、何等かの理由によって、何処からか発生されたものである以上、其根本迄突止め、把握しなければ意味をなさない訳である。としたら現在程度の学問では、それが不可能であるから、真の医学の成立などは思ひもよらないのである。いくら微小な細菌と雖も、突如として偶然に発生したものでは勿論ない。此原理は後に詳しくかくが、其黴菌が病原となり、其感染によって人間が苦しむとしたら、一体黴菌なる物は何が為、何の必要あって、此世界に存在するものであるかを考ふべきである。何となれば森羅万象一切は、悉く人間に必要なもののみであって、不必要なものは一つもないから、若し不必要となれば 自然淘汰されて了ふのは歴史に見ても明かである。只其時代に必要である間生存してゐるだけに過ぎないので人類学上からみても、幾多の実例のある事で、彼の古代に於けるマンモスや恐龍や、名も知れぬ怪獣などの存在してゐた事も、よくそれを物語ってゐる。としたら黴菌と雖も実在する限り、何等かの役目を有ってゐるに違ひないが、今日迄の学問では其処迄分らなかった為、無暗に恐れてゐたのである。右によってみる時、造物主即ち神が人間を苦しめ、其生命迄も脅かすやうな病原菌を作ったといふ訳は、実は重大な意味が含まれてゐるのであるに拘はらず、今迄の人間は此点に何等疑問を起さず、全然無関心に過して来た処に問題がある。それといふのも学問が其処迄進歩してゐなかったからで、此意味からいっても、私は此著によって現代文化人に自覚を与へ、頭脳を高く引上げなければならないと思うのである。
茲で、今一つの重要事をかかねばならないが、抑々主神は何故宇宙及び人間を作られたかといふ事であって、恐らく之以上重要な根本的問題はあるまいと共に、此事程誰もが知りたいと希ふ事柄も又あるまい。而も現在に到る迄之に就て何人も異論なく、首肯すべき程の説明を与へた者はなかったのであるから、それを茲に説いてみるが、本来主神の御目的とは何であるかといふと、それは人間世界をして真善美完き理想世界を造り之を無限に向上発達せしめるにあるので、之こそ永遠不滅の真理である。従って今日迄の人智では、到底想像すら出来得ない程の輝しい未来を有ってゐるのであるとしたら、人間は此前途の光明を胸に抱きつつ楽しんで天職使命に尽すべきである。そういう訳で主神の御目的を遂行すべき役目として造られたのが人間である以上、人間は右の使命を真底から自覚すると共に、生命のあらん限り、其線から離れる事なく働くべきである。
それには何といっても先づ健康が第一であるべきに拘はらず、現実は果してどうであらうか。誰も知る如く人間は実に病に犯され易く健康を損ふ場合が余りに多い事実である。それが為神は不断に健康を保持されるべく、人体に対し健康擁護の自然作用を与へられてゐるのである。では其作用とは一体何であるかと言うと、之が意外にも病気と曰ふものなのであるから何人も驚くであらう。それに就て充分説明してみるが、先づ人間が人間としての役目を果さんとする場合、どうしても全身に汚穢が溜る。之に就ても後に詳しく説くが、兎も角汚穢とは霊にあっては曇りであり、肉体にあっては濁血である。処が人体に汚穢が溜り、或限度を越へるや、人間活動に支障を及ぼす事になるので、之が除かれるべく前述の如く、自然作用即ち浄化作用が起るのである。処が此浄化作用の過程が苦痛となる為、此苦痛を病気として、悪い意味に解釈したのが現在迄の考え方であった。そこで人間一度病気に犯されるや、健康を損ねるものと逆に考へるから、生命の危険をも予想し憂慮するのである。其為曩に説いた如く、其苦痛を消滅或は軽減させやうとして、種々の工夫を凝らして出来たものが、現在の如き医療であるから、如何に誤ってゐたかが判るであらう。
以上によって考へても分る如く、病気なるものは、実に人間の健康を保持せんが為の、神の最大なる恩恵である事が判るであらう。従って此真理を基本として構成された医学こそ、真の医学と言うべきである。
(文明の創造 昭和二十七年)