科学篇 自然を尊重せよ

医学特に結核患者に対しては、安静を最も重要とされてゐるが、之は前にも述べた如く大変な間違ひである。ではどうするのが一番いいかといふと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないやう気儘にする事である。例へば熱があって大儀な時は、寝ろといふ命令を身体がすると思ひ、寝ればいいのである。又寝たくない起きたいと思うのは、起きてゐてもいいと命令されたと思ひ、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄ひたければ唄ひ、仕事がしたければするといふやうに、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない心に満たない事は止す事である。要するにどこ迄も自然である。之が結核に限らず、如何なる病に対しても同じ事がいえる。

食物も同様で、食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食う。之が最もいいのである。薬は勿論不可ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食はなかったりするのも間違ってゐる。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に食べたくないものは食べるなといふ訳である。そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支へないが、成可野菜を多く摂る方がよい。処が今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、之が大変な誤りで、一時は元気が出たやうに思ふが、続けると必ず衰弱を増す事になる。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食ってゐれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命に関はる事さへもある。それに反し菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明かである。之に就て私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それ迄動物性食餌を多量に摂ってゐたのを、或動機で其非を覚り、菜食にしてみた処、それからメキメキ恢復に向ったので、医学の間違ってゐる事を知り薬も廃めて了ひ、三ケ月間絶対菜食を続けた処、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。其後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠として壮者を凌ぐものがある。もし其時それに気が付かなかったとしたら、無論彼世へ旅立ってゐたに違ひないと、今でも思う度にゾッとするのである。今一つは喀血の場合である。之こそ菜食が最もいい。以前斯ういう患者があった。肉食をすると其翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるといふ、実にハッキリしてゐた。之でみても菜食のよい事は間違ひないのである。

今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、之も間違ってゐる。それは原理を知らないからで、疲労とは勿論運動の為で、運動をすれば足や腰を活動させるから、其部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する。微熱は疲労感を催す、それが疲れである。併しそれだけ毒素が減るのだから結構な訳である。何よりも運動を旺んに行ひ常に疲労を繰返へす人は健康であるにみても判るであらう。だから草臥れた際足や腰の辺を触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。又睡眠不足は、結核には何等影響はない。寧ろいい位である。之は事実によってみればよく判る。何よりも睡眠不足の階級をみるがいい。旅館の従業員や、花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言はれてゐる。之に就ても説明してみるが、睡眠不足だと起きてゐる時間が長くなるから、活動の時が多くなり、浄化が余計起るからそれだけ疲れる。処が逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。今一つ斯ういう事でも判る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。之も右の理と同様で、仮令寝てゐても神経を使ふから浄化が起るのである。

(文明の創造 昭和二十七年)