阿呆文学 枝葉末節文化 其 一

道は単一無雑といふ言葉が御座るが、其の通りで、決して複雑多岐に渉るものでは御座らぬ。

複雑多岐に渉れば渉る程、真理と言ふ奴、影も形も見えなくなるんで、御座るから不思議で御座る。彼の医学を御覧じろ。天から授った、此の眼玉では、何も無いと思ふ空気にも、一ミリ四方、何億万といふバクテリヤが、うようよ居(イ)るといふ事が判る程に、顕微鏡的に進歩したんで御座るから、四百四病を治すなんか、屁の河童でありそうなものだが、左に非ざる所が、不思議千万では御座らぬか。

それで近頃、阿呆、熟々(ツクヅク)考へたんで御座る。其の結果、はたと膝を打ったんで御座る。ナールホド余り「枝葉末節(シヨウマッセツ)文化(ブンカ)」の所へ来たので肝腎な病源の方が、千里も後に取残されて、欠伸(アクビ)をしてゐるんで御座る。

それから、又一つ判った事が御座る。阿呆の曽爺(ヒイジイ)さんの時代だから、先づ天保以前頃と思へば間違ひがない。其の時分には病人が少くて、流石の薮井竹庵も飯が食へず、赤や紫の女のやうな羽織を着て、権門富家へ媚(コ)び諂(ヘツラ)ひ、漸く鼻の下を塞げたといふ事程、病人が少なかったので御座るから、意外では御座らぬか。

然るに何ぞや、一時間五百粁の速さで、人間様が空を飛ぶといふ、豪勢な御時勢に之は又何ぞや。地上は病人がうようよ、病院が満員、新聞は売薬の広告がなければ、経済が持てないといふ「医薬万能」の有様。どう考へても、辻褄が合はないので御座る。併し茲で頭のいゝ読者なら、枝葉末節文化の誤謬が、ピンと脳味噌に来る筈と思ふので御座るが、如何で御座る。

其処で、阿呆、緊褌一番(キンコンイチバン)、毛唐が製造した、此の枝葉末節医学を此の辺でガンと眼を醒させ、どしどし病人が減って行く医術。と言っても、ゴロゴロ死んで、毎晩病院の裏口から、仏様を運び出すんでは御座らぬから安心を願っておいて、実は病気の方が治って、病人が減るといふので御座る。

ても扨ても不思議な医術が出来たものだと、吃驚するで御座らふが、まあまあ遽(アワ)てないで、能く聴いて下され。之こそ三千年間、見た事も聞いた事も御座らぬ。之が正真正銘の「日本医術」で御座る。今迄のは支那や西洋からの借物で、日本医術の生れる迄の、其間の謂はゞ間に合せ代物、辻褄の合はぬ借着衣裳で御座ったので御座る。それで万事、お判りになったで御座らうが、何と結構な事になったでは御座らぬか。

(光明世界一号 昭和十年二月四日)