地獄界の続き

次に他の地獄界は総括的に書く事にする。

修羅道は、俗に修羅を燃やすといふ苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦慮したり、自己の欲望が満足を得られない為に煩悶したりする心中の苦しみが生前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。之等は現界でも霊界でも信仰によって割合早く救はれるものである。

色欲道は読んで字の如く色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躪する事を何とも思はず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである。此為地獄に於ては生前騙され、酷い目に遇った女性群が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、如何なる者と雖も悔悟せざるを得ないのである。そうして此苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、其罪の量とを償ふのであるから容易ではないのである。之によってみても世の男子たるもの、自己の享楽の為女性を不幸に陥らしむる如き行為は大に慎しまなければならないのである。右に述べた如き罪は男子に多い事は勿論であるが、稀には女性にもあるので、自己の享楽又は欲望の為貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩ましたりする事を平気で行ふ女性があるが、之等も勿論色欲道に堕ち苦しむのである。

焦熱地獄は放火したり、不注意の為大火災を起し、多くの人命財産を犠牲に供する等の罪によって落ちる地獄である。

蛇地獄は無数の蛇が集(タカ)って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがある。此罪は自己の利欲の為、多くの人間に被害を与へる。例へば大会社の社長、銀行の頭取等が自己利欲の為不正を行ひ、多数者に損害を与へたり、政治家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起した張本人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。

蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。それが蟻となって苦しめるのである。それに就て斯ういふ話がある。その目撃者から聞いた事であるが或時木の上に蛇が巻き着いてゐた。見てゐると数羽の雀が来て、その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んで了った。そのままにしておいた処数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をなして幹を這ひ上り、その巣の中の未だ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。勿論雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事がある。

蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左の如き話がある。以前私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達が或時霊憑りになったので、或宗教家の先生を頼んで霊査をして貰った処、斯ういう事が判った。其友達の御得意である或芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでをり、救って貰ひたい為憑ったといふのである。其霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であったからでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れられ、その中に何百といふ蜂群が、全身所嫌はず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪えられないから助けてくれといふのである。此罪は芸者として多くの男子を悩まし、大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬の為蜂となって復讐したのである。

次に地獄界は伝説にある如く、獄卒として赤鬼青鬼が居り、トゲトゲの附いた鉄の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、之は肉体の時打たれるより痛いそうである、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれてをるからで霊ばかりとなると直接神経に当るから実に堪らないそうである。そうして地獄の幾多の霊がよく言ふ事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ないので困るそうである。成程自分達は既に死んでゐる以上、此上死に様がないからである。此点霊界は厄介な訳である。又地獄界を亡者が往来する場合火の車に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行又は子孫の供養によって漸次向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。私が或霊を救ひ鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊曰く。「今日御礼と御願ひに参りました。御蔭で極楽へ救はれ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持はよくお判りでせう。」といふ。成程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさが込み上げて来る感じである。次いで霊の御願といふのは、「どうか再び人間に生れて来ないように神様に御願して頂きたい。」と言ふので、私は不思議な事を言ふものかと思ひその理由を質ねると、「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であるに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思ふやうに食ふ事さへ出来ずコリコリした。」と言ふのである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみといふ事になるが、それには生きてゐる中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。

次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。

(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)