カンカン先生

私が大本教入信後間もなく先輩者で指導者として仰いでゐた先生があった。此先生は小乗信仰のモデルのような人で信仰の窮屈な事到底ついてはゆけない程であった。その中の二三をかいてみよう。

其頃私は東京の京橋に居ったが、その先生は谷中の豊島区という二三里も離れている処からよく来たのである。処が電車へは決して乗らない。夏などお粗末な浴衣一枚にヨレヨレの帯を締めて帽子も被らず日和下駄を履き、炎天下を扇子を翳し乍らトボトボ歩いて来るのである。彼の言ふには電気などは西洋で出来たものであるから電車へ乗ると穢れるというのである。

恰度幕末の頃、電線の下を通ると穢れるといって扇で頭を隠した神兵隊とよく似ている。そのくせ家の中には電燈を点けているのだから甚だ矛盾している。そんな訳で牛肉は勿論鶏卵も食べない。汚れるからだという。

或時斯ういう事があった。私の妻が女学校の時習ったシューベルトの「夜の調べ」を口誦んでいた。すると彼は大いに咎めて「神の信者たるものが西洋の歌など謡うのは甚だよろしくない」と散々お説教されたものである。

(光新聞四十四号 昭和二十五年一月七日)