之は頗るグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思ふ。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。処が此男の症状といふのは頗る多種多様でグロ極まるものである。特に最も著しいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挾(ハサ)むや忽ち体温計の最高である四十三度に昇るのである。それだけならいいが、体温計の破裂する事が、屡々あるので、脳病院でも実に困ったといふ事である。勿論四十三度以上の超高熱であったからで、最初慶応病院では解熱剤の注射を三回行ったが少しも効果がない。之以上は危険だからと注射をやめたといふ位で、そこで医療を諦め他の療法を求めてゐた処、偶々私の事を聞き訪ねて来たのである。
私の前へ座るや五尺七八寸位の大男で、物凄い悪寒が起った。ガタガタと慄え出す状は嘗て見た事もない猛烈さである。私は体温計破裂の熱は之だなと思った。早速彼の背後に廻り、抱えるようにして全身の霊を彼に向って放射するや、忽ち効果が現はれ、身慄ひは五分位で全く治まり、軽熱位になったので、彼は暗夜に光明を認めた如く欣喜雀躍し、是非とも私の家へ置いてくれといふのである。彼の語る種々の話を聞くと霊的研究にはもってこいの相手なので私は快諾し、彼の言ふ通りにしてやった。之から起る霊的現象こそグロ的興味の深いものであった。
時々彼は無我に陥り、頭が痛い痛いと叫ぶのである。私が霊射をすると、十分位で常態に復すので聞いてみると、彼は以前狩猟が好きで、或日一匹の狐を射った。傍へ近寄ってみると未だ生きてゐて、イキナリ起上って彼に向って来たので、彼は銃を逆に持ち、台尻を振上げ、狐の眉間目がけて一撃を加へたので狐はそのまゝ死んでしまった。その狐霊が憑依するので、憑依中頭痛の外に精神病的症状もあった。
又彼は無我に陥ると共に、「木を除けて呉れ、木をのけてくれ。」と連呼するのである。之はどういふ訳かと聞くと、彼が北海道に居て樵をした事があった。或時大木を伐り倒した時にその倒れた木の下の凹所に人間が一人寝てゐて気絶したのである。それを彼は知ってか知らずにかそのまゝ山を下った。後で気絶者は息を吹きかえした処、負傷の身体で木を押除ける事が出来ずそのまま死んだ。その霊の憑依である。
又彼が殺した熊の霊も時々憑いた。その霊が憑ると非常に物を喰ひたがる、或時の如きは一度に鰊(ニシン)十一本喰った事がある。
又彼には蛇の霊が二匹憑ってゐた。之も彼が殺したその霊で、一匹は腹に居て時々蛟まれる如き痛みで苦しみ、一匹は首に巻き着いて喉を諦め、呼吸を絶やそうとする。その都度私は霊の放射をしてやるとジキに治ったのである。
次に之は霊的ではないが、彼は最後に全身的浮腫(フシュ)を生じ、時々廊下で倒れる事があった。何しろ大男が浮腫と来てゐるので特に大きくなり、男子三人掛りでやっと部屋へ引ずって運んだ事も度々あった。其際睾丸が小提灯大に腫れ、浴衣からハミ出て隠す事が出来ず随分人から嗤はれたものである。之を最後として全快し、健康者となったのである。
(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)