死後の種々相

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等の為、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないから寧ろ倖せであるなどといふが、之等は非常な誤りで実は此上ない不幸である。それは死の覚悟がない為霊界に往っても自分は死んだとは思はず相変らず生きてゐると想ってゐる。然るに自分の肉体がないので、遮二無二肉体を求める。其場合自己に繋ってゐる霊線を辿るのである。霊線は死後と雖も血族の繋りがあるから、霊はそれを伝はり人間に憑依しようとするが、憑依せんとする場合衰弱者、産後貧血せる婦人、特に小児には憑依し易いので多くは小児に憑依する。之が真症小児麻痺の原因であり、又癲癇の原因ともなるので、小児麻痺は脳溢血の如き症状が多いのはその為であり、癲癇は死の刹那の症状が表はれるのである。例へば泡を吹くのは水死の霊であり、火を見て発作する火癲癇は火傷死であり、其他変死の状態其まゝを表はすもので夢遊病者もそうであり、精神病の原因となる事もある。

次に変死に就て知りおくべき事がある。それは他殺自殺等凡て変死者の霊は地縛の霊と称し、その死所から暫くの間離脱する事が出来ないのである。普通数間又は数十間以内の圏内に居るが、淋しさの余り友を呼びたがる。世間よく鉄道線路などで轢死者が出来た場所、河川に投身者のあった其岸辺、縊死者のあった木の枝等よく後を引くが右の理によるのである。地縛の霊は普通三十年間其場所から離れない事になってゐるが、遺族の供養次第によっては大いに短縮する事が出来得るから、変死者の霊には特に懇ろなる供養を施すべきである。そうして凡ての死者特に自殺者の如きは霊界に往っても死の刹那の苦悩が持続する為大いに後悔するのである。何となれば霊界は現界の延長であるからである。此理によって死に際し、如何なる立派な善人であっても苦痛が伴ふ場合中有界又は地獄に往くのである。

又生前孤独の人は霊界に往っても孤独であり、不遇の人はやはり不遇である。唯だ特に反対の場合もある。それは如何なる事かといふと、人を苦しめたり、吝嗇であったり、道に外れた事をして富豪となった人が霊界に往くや、その罪に依て反対の結果になる。即ち非常な貧困者となるので大いに後悔するのである。之に反し現界に居る時、社会の為人の為に財を費し善徳を積んだ人は霊界に往くや分限者となり、幸福者となるのである。

又斯ういふ事もある。現界に於て表面は如何に立派な人でも、霊界に行って数ケ月乃至一ケ年位経るうちにその人の想念通りの面貌となるのである。何故なれば霊界は想念の世界で肉体といふ遮蔽物がないから、醜悪なる想念は醜悪なる面貌となり、善徳ある人はその通りの面貌となるので之によってみても現界と異ってゐる事が知らるるのである。全く霊界は偏頗がなく公平であるかが知られるのである。

以前斯ういふ例があった。其当時私の部下に山田某といふ青年があった。或日彼は私に向って「急に大阪へ行かなければならない事が出来たから暇を呉れ」といふのである。見ると彼の顔色挙動等普通ではない。私はその理由を質ねたが、その言語は曖昧不透明である。私は霊的に査べてみようと思った。其当時私は霊の研究に興味をもちそれに没頭してゐたからである。先づ彼を端座瞑目させて霊査法にかかるや、彼は非常に苦悶の形相を表はしノタ打つのである。私の訊問に応じて霊の答は次の如きものである。「自分は山田の友人の某といふ者で、大阪の某会社に勤務中、其社の専務が良からぬ者の甘言を信じ自分を馘にしたので、無念遣る方なく悲観の結果服毒自殺したのである。然るに自分は自殺すれば無に帰すると想ってゐた処、無になる処か死の刹那の苦悩が何時迄も持続してゐるのであまりの予想外に後悔すると共に、之も専務の奴が因であるから、復讐すべく山田をして殺意させようと思ひ、自分が憑依して大阪へ連れて行かうとしたのである」此言葉も苦悶の中から途切れ途切れに語った。尚彼は苦悩を除去してもらいたいと懇願するので、私はその不心得を悟し苦悩の払拭法を行ふや、霊は非常に楽になったと喜び厚く謝し、兇行を思ひ止る事を誓ひ去ったのである。右憑霊中山田は無我であったから、自己の喋舌った事は全然知らなかった。覚醒後私が霊の語ったままを話すと驚くと共に、危険の一歩手前で救はれた事を喜んだのであった。之によってみても人間は如何なる苦悩にあふも、自殺は決して為すべからざるものである事を識るべきである。

特に世人の意外とする処は情死である。死んで天国へ行き蓮の台に乗り、たのしく暮そうなどと思ふが之は大違ひである。それを詳しくかいてみよう。抱合心中などは霊界へ往くや、霊と霊とが密着して離れないから不便此上なく、而も他の霊に対し醜態を晒すので後悔する事夥しいのである。又普通の情死者は其際の想念と行動によって脊と脊が密着したり、腹と脊が密着したりして凡ての自由を欠き、不便極まりないのである。又生前最も醜悪なる男女関係、世に謂ふ逆様事などした霊は逆さに密着し一方が立てば一方は逆さとなるというやうに不便と苦痛は想像も出来ない程である。其他人の師表に立つべき僧侶、神官、教育者等の男女の不純関係の如きは、普通人より刑罰の重い事は勿論である。

(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)