空前の難問題

今茲に論じようとする問題ほど深刻にして解決困難のものは未だ嘗てなかったであらう。それは外でもない。本教発展によって当然発生する処の不可抗力ともいうべき難問題である。という事は本教発展と正比例して影響を蒙る職業層である。之は誰も知る如く医師初め病療に関係ある数々の職業者であると共に既成宗教にも多少の影響は勿論であらう。

以上は実にやむを得ざる性質のもので、本教と雖も他の営利事業とか、政治又は主義等に関する事と違い、競争者又は同業者の分野を不振にし、己れひとり優越者たらうとするのではない。人類社会の不幸を除去し幸福者の世界たらしめようとするのが目的で、全く救ひの聖業以外他意ないのである。

然らば、何故医療や其他の方法で難病不治と断定せられたものが、一転快癒の結果となるかという事で、之は常に詳説しているから略すが、何よりも本教教線の発展を見れば首肯されるであらう。前述の如く他の営業者に影響を与える事実に見ても判るであろう。此世智辛い世の中に何等効果のないものに熱烈な信仰を捧げるという無智な者がそうある筈はない。

考えてもみるがいい、之程進歩した医学を捨て去るという事はそれだけの理由があるからで、それを単に迷信と片づける人々こそ、余りに大衆を愚に見るという以外言いようはあるまい。例えていえば粗悪なものを高く売れば買手は来ないが優良品を安く売れば買手はいくらでも来ると同様で、優勝劣敗の鉄則は茲にも厳然と行われているのである。

之に就て明かな事実は、今日何人と雖も、罹病するや速かに医師の診療を受ける。之は現代人の常識となっている。初めから迷信邪教と非難されるものに貴重な生命を託するものは一人もあるまい。処が病者は如何に大病院や名医等凡ゆる療法を受けても更に治らないばかりか、益々悪化の極、断末魔に陥るので迷信邪教でも何でも助かりさえすればよいという心境になるのは当然である。其際体験者の奨めに遇ひ疑心暗鬼恐る恐る本教に来て浄霊を受けるのである。然るに忽ち顕著な御利益を頂き全治するという訳で、入信の動機は殆んどそれであって、本教異例の発展の理由も茲にあるのである。

以上の事実によって考えれば容易に判る事は、患者が医療を受けた場合順調に全治すればそれで済んでしまうから、本教に来る者などは一人もなく、随而信者も出来ない訳である。とすれば迷信邪教の存在の余地は消滅する外ない事になる。恐らく之程判り切った話はあるまい。

此理によって医学が進歩したというに拘はらず迷信邪教に走るというその原因こそ、実は医学が無能の為である事になる。随而本教によって全治されたものは、例外なく其後自己及びその家族が罹病の場合医療を嫌い本教浄霊のみに頼る事となる。全く自己の体験上医療よりも浄霊の方が効果があるからである。もし医療の方が勝れてゐるとすれば右の反対である筈である。

次に言いたい事は信仰療法で悪化し、危機に瀕したものが、医療によって起死回生の効果を得たという例は今日迄一人も聞いた事がない。吾等と雖も医学を非難する意志は少しもないが、ただ事実ありのままをかかなくてはならない。それは病なき世界を造るのが目的である以上、医学の是正こそは其根本であるからである。

故に、此問題の発生を消滅するとしては、どうしても医療は病者を全治せしめる事である。事実によって医学の効果を示す事である。如何なる病者もどしどし全治させるとすれば何を好んで迷信邪教などに趨(ハシ)る必要はあらうか、処が医家によって医療の効果のない事を自白してゐるような者さえある。

その表はれとして或地方の医師会などは取締当局を動かし弾圧させようとしたり、地方新聞などを利用し悪宣伝等によって陰に陽に本教の妨害に努めるが之等は勿論邪道で、医家が本教に敵し難い為苦肉の手段をとらざるを得ないという自己暴露でしかないといえよう。然し乍ら其点吾等も同情に吝かではないが、吾等は神の意図によって救世の業に従事させられている以上如何ともし難いのである。人間としての情と神からの命との板挾みといってもいい。

斯ういう事を言うと唯物主義者は、神の名を利用した巧みな言訳と解釈するかもしれないが、それを理解させる事は容易ではない。何しろ見ゆる物質と見えざる霊との根本観念の相違であるからで、恰度上戸と下戸との争いのようなものであらう。ただ茲に言える事は、或時期に達するや唯物主義者と雖も、必ず唯心主義者に転向する事で、これは断言し得るのである。

最後に吾等の希望する処は、現代医学が神霊療法よりも勝っているとすれば、吾等も直ちに医師となり大いに人類を救いたいのである。そうすれば迷信邪教などの非難を浴びる事なく正々堂々と濶歩し得るからである。故に今日の如く迷信邪教の横行は、全く医学が病気を解決し得ないからである。とすればその一半の責任は医学にあるといっても差支えはあるまい。以上あまり忌憚なく論じたが吾等と雖も救世上止むを得ないので、此点大いに諒されん事である。

(光新聞三十七号 昭和二十四年十一月二十六日)