新聞の独断はファッショ 新聞のデマに就て

茲に世人の気のつかない事をかくが、それは新聞の捏造記事によって本教が如何に被害を蒙るかである。それは昨秋本教脱税問題の際、朝日紙が本教の資産二三拾億という途轍もない数字をかいた。何しろ大新聞としての社会的信用から何人も相当の信を置くのである。果然其後ユスリ、タカリ、金貰いや一面識もない者から事業資金や其他種々の金借りの申込が殺到し、一時は忙殺に悩まされたのである。

処が最近、又々読売紙上に本教一日の収入壱千万円以上とかいたので又しても種々の金ねだりの輩が現われ始めた。一時沈静してやれやれと思ったのも束の間で、当分迷惑のやむなき次第である。

勿論、前述の数字はデマの甚だしいもので本教が一昨年八月宗教法人となり、それからの活動で魔法でも使はない限りそんな巨額な金が入る訳がないではないか。何千何百年以前からの堂々たる宗教で信徒数百万を擁しているものすら、今日経済的苦境に如何に悩んでいるかは君等も知っているであらう。それ等既成宗教に比べて本教などは横綱に対する生れたての赤ン坊位にしか当るまい。而も本教が現在発展時代である以上経済的逼迫は想像以上である。其上昨年の納税額壱千万円以上と決定され差押えを受けていた動産不動産等が、昨今漸く解除されたにみて想像され得るであらう。

右の如き吾等の現況に対し、彼等は何が為に出鱈目な数字を書くのか多分面白半分からであろうが、その為吾等の蒙る損害は甚大である。そのような暴君的権力を揮うことは許さるべきであろうか、とすれば大問題である。又彼等は常に、新宗教はすべて迷信邪教であり、之を撲滅するのが社会の為であるかのように思うらしい。

故にデマでも捏造でも構わない、大袈裟にかいて一般社会に嫌忌反感を起させ危険とさえ思わせる。それと併せて読者の興味をも沸かせるという、それ等の行為は新聞としての正しい行り方であろうか。勿論君等は調査などは全然しないで頭から迷信邪教として決めてかかるのである。随而新宗教の一番恐れるのは新聞のデマである。以上によってみても良民を犠牲にし自己の利益を計るという人権蹂躪といわれても否定出来まい。実に新聞封建である。

吾等が真実を告白すれば、今日の世相に対し、教育も道徳も既成宗教の力でも食い止め得ない程に悪化してゐる現状である。どうしても真に力ある救が出なければならない。といってもその救はお伽話や伝説的にある雲に乗って天より降るとか忽然として地上に出現するとかいふものではない。やはり選ばれたる一個の人間が徐々として真面目に個人々々を救ひつつ、よい社会によい国家によい世界にする事でその実行者として如何なる地点に如何なる人間が表はれるかも知れないのである。

今日開祖聖者と仰がれてゐるものと雖も、生存中それ程目立つような事はなかった。年を経るに従い漸次認められ崇められるようになった事は宗教史上よく物語ってゐる。彼のキリストにしても昇天当時十一人だけの弟子が動かない信者でその弟子達が十数年を経た頃から綜合的にかいたのが新約聖書という事である。世のジャーナリストよ、此文を読んで如何なる感想が浮ぶや聞きたいものである。

(光新聞三十二号 昭和二十四年十月二十二日)