本教団の誤解をとく 世間でみるほど財政は楽でない

斯文は、一般人を対象としたものではない。或種の人間、早く言えば間違った人達の誤解をときたいのである。それは本教が多額の金を蔵してゐるという事である。尤も抑々の原因は昨秋本教の脱税問題発生当時各新聞が筆を揃えて、本教が非常な財力があるように書きたてた事は未だ記憶に新たなる処であり、特に朝日紙の如き大新聞が、本教資産二三十億とかいたのであるから堪らない。之等によって今以て何等かの手段を講じ、彼手此手で金を出させようとする者が跡を絶たないのである。

今日と雖も金貰いは殆んど来ない日はないといってもいい位である。実に昨秋以来今日迄に於る大小の諸問題は全部といっていい程これに関連しないものはない。其為に専門のユスリ係を置いてあるが、其折衝に毎日忙殺されているのが実際である。斯ういう訳であるから、今後もし本教に関する悪い噂や問題等がある場合、右の事実を思ひ合せれば必ず肯き得る筈である。

それに就て左の記事は、本教を目標と狙ってゐる諸君に言ふ事だが、本教は現在君等の想像するような金はないのである。考えてもみるがいい、本教が法人組織となって表面的活動を始めたのは廿二年の八月からで、未だ近く二ケ年である。それから集った信徒の寄附金であるから魔法でも使はない限り、そんな多額の金銭は集る訳がないではないか。

而も熱海、箱根、小田原、鎌倉、東京を始めとし、全国各地の分所支部の設置等に要する費額は、物価高の今日、予想外に上るのである。又人も知る如く昨秋以来の巨額の税金の為大打撃を蒙ってゐる。従而本教会計部は常に悲鳴を上げてゐる実情で、金が入るより出る方が多いからである。大きい例えだが日本政府の台所と同じだと常に思ってゐる。

衆知の如く、何事業にしても発展時代は例外なく金に苦しむもので、反って発展が止ってから懐が楽になるものである事は特に経験者の知る処で斯様な自己暴露の記事はかきたくないが、あまりに君等が大きく見過ぎる結果、凡ゆる手段を尽して本教から金を得ようと苦心してゐるからである。故に此事を知らしめ、君等が少しでも罪を重ねないようにしたい老婆心からかいたのである。之も宗教家としての救ひの一部であるとも思ふからである。

(光新聞三十一号 昭和二十四年十月十五日)