造物主に反抗する医学

此標題をみた人は一寸変に思ふであらう。処が、厳然たる事実であるから仕方がない。

今日医学は手術の進歩を誇称してゐるが、之程間違った事はあるまい。例えば、盲腸炎に罹ったとする。医学は忽ち虫様突起を切りとってしまふ。その理由に曰く「盲腸は人体の健康に対し無駄なもので、此様なものがあるから盲腸炎が起るのだから切りとるに限る」といふが之は実に恐るべき事だ。

何となれば、万物を創った造物主が、その作品中の最も傑作ともいふべき人体である以上一つの無駄も造ってはない筈である。爪一つ、髪の毛一本と雖も決して無用なものはない。それぞれ有用な役目をしてゐるのである。それを単に無駄と決めるのは、人体機能の根本が判ってゐないからである。とすれば、現代の外科医学は野蛮の二字につきるといってもよからう。

此意味に於て、真の医学とは機能の一片と雖も毀損せず、原形そのままで病原である膿や毒血を完全に除去する事である。それに向って一歩一歩進むべき事こそ真の医学であらう。

故に、現代外科医学は一時的苦痛を緩和させるだけの手段で医学ではない。強いていえば一時的苦痛緩和の便法でしかない。のみならず一時的緩和の結果は、全身的衰弱者となり、生命の短縮する事も勿論である。全く造物主の作品に傷つける訳で造物主に対する反逆行為であらう。

此意味から言っても本教浄霊こそは造物主へ対する順応であり、真の医学であるといっても些かの誇称とはなるまい。

(光新聞三十号 昭和二十四年十月八日)