結核の原因

之から愈よ結核の説明にかかるが、今迄に述べた如く、寒冒といふ浄化作用停止を繰返す為、終に肺炎といふ猛烈な浄化作用を作り出した訳であるが、此肺炎と同様の浄化が至極緩慢に発生する、之が肺結核の初期病状である。曩に述べた如く感冒の浄化停止を行ひ、一旦は還元し健康状態を呈するが、実際の治癒ではないばかりか、毒素追増と相俟って病症は悪質となり執拗性となる。之が結核の特異性である。故に寒冒の如く簡単に治らない。長びく、症状は衆知の如く微熱、咳嗽、倦怠感、食欲不振、頭痛、盗汗、不眠、神経質、羸痩(ルイソウ)等である。之を簡単に説明すれば、微熱は浄化熱であり、咳嗽は喀痰の吸引作用、倦怠感、食欲不振、頭痛、盗汗等は発熱の為であり、不眠、神経質、羸痩は貧血の為である。女性に於ては月経閉止を見るが、勿論貧血の為である。

右の如き症状は、緩慢なる毒素排除作用であるから、放任しておけば殆んど治癒するのであるが、病理不明の医学は遮二無二浄化停止を行ふ。其方法は何人も知る通り絶対安静を金科玉条とする。安静は運動停止であるから、此位衰弱させるものはない、其他凡ゆる手段を尽して浄化停止を行ふのである。元来浄化作用なるものは、健康である程旺盛であるから、浄化停止の目的を達するには、衰弱させるの一途あるのみである。此理の證左として結核は最も生活力旺盛である青年時代に起り易いといふ事実で、其時期は抵抗力が最も強盛時代であるからである。然るに医学の解釈は抵抗力が薄弱であるから、結核に罹るといふのであって、全く反対の解釈である、処が抵抗力の薄弱である処の老年になる程少いといふ事実は私の説を裏書してゐるではないか。

結核に就て今一層判り易く説明してみよう。それは最初医家が結核の初期と診断する時実は肺は何等異常はないのである。其際肺臓内に若干の喀痰が滞溜してゐる為であって、ラッセル、レントゲン写真の雲翳がそれである。勿論、微熱、咳嗽等の症状が伴ふのは軽微の浄化によるのである。そうして右の如き肺臓内の喀痰は何の為に発生したかといふと、如何なる人と雖も、体内凡ゆる局所に毒素が集溜し、固結してゐる。而も右の局所とは意外にも頭脳、股間、鼠蹊部淋巴腺、腕、脚、腎臓部等を主として、全身随所に毒結があり、それ等が浄化によって液体化すると共に、即時肺臓内に浸潤滞溜する。それが第二次浄化の発熱、咳嗽、吐痰を待ってゐるといふ訳であるが、肺炎の如き強烈な浄化であれば短期間に排泄し得るが、結核の場合はそれが緩慢である為、長期間に渉り喀痰は逐次的に肺臓内に浸潤増量するのである。

然るに、医療は極力浄化停止を正しき療法と誤認してゐるから、咳嗽、喀痰を恐れ、その排除を停止しやうとする。停止された以上次々浸潤の喀痰は累積増量し、病勢は悪化の経路を辿る事となる。そこで医療は倍々安静其他の衰弱手段を講じ固めようとする。之を一言にして言えば、人体の方は溶して出そうとする、医療の方は固めて出さないようにするといふ、相反する敵味方的闘争を続けるといふ訳である。近来唱えらるゝ闘病という言葉はよくこれを暗示してゐる。結核療法が長年月に渉るのは右の理を知れば何人も肯かるゝであらう、此事の例として患者が安静に背き、些かでも身体を動かすとか神経を使ふとかすれば必ず発熱する、之は浄化力が復活するからである。

茲で、今一つの重要事を書かなければならない、それは肺臓内に於ける喀痰が、時日を経るに従ひ漸次腐敗する。如何なる物質も腐敗すれば微生物発生は万物共通の原則である。而かも体温は微生物発生に都合のいゝ協力者である。即ちこの微生物が結核菌である、随而、結核黴菌発生の原理は、彼の有名なパスツールによれば伝染であると唱え出したので、それ迄の定学説であった自然発生の理論が覆えされた事は有名な話であるが、之はどちらも真理ではない。実は自然発生の場合と伝染の場合と両方の原因がある。然るに結核菌は自然発生であって決して伝染病ではない。何よりの證拠は私は二十数年に渉って実地経験によって得た結論である。私は凡ゆる手段を以て感染せしめようとし、先づ私の子女六人を試験台として十数年に渉って凡ゆる方法を試みたが、一人も感染しないばかりか、六人共今日溌刺たる健康の持主である。又私の弟子の中には、結核患者に茶を呑ませ、其場でその飲んだばかりの縁へ唇を当て飲む事は数知れないが、今以て何事もない。其他出来るだけの手段を以て感染の試験をしたが何ともない。私の家には結核患者の二三人は常に滞在して仕事に従事してをり、何等消毒等は行はないが、未だ一人の感染者もないのをみても明かである。

以上によってみても、結核伝染説は全く誤謬である事は、断言して憚らないのである。茲で医診と医療の説明を簡単にしてみるがレントゲン写真は前述の如くであり、空洞は喀痰が腐敗し肺胞を侵蝕するのであるが、之は喀痰を除去すれば或程度原型に復すのである。近来流行の気胸療法は、空気の圧力で片肺の呼吸運動を或程度制限し、喀痰を固める方法であるから、一種の浄化停止であって効果は一時的である、血沈とは濁血は毒素分が多い為沈下が速い。濁血の持主は病気に罹り易い、罹った場合も治癒力が弱い事等の測定である。喀痰にも新しいと古いのがあるのは当然で、新しい程透明であり、次が白色、次が青色、最も古いのは黄色黒色である。斯様な痰になると悪臭があるからよく判る、而も結核菌はこの古い痰に発生してゐるのである。

次に、結核に似て非なるものに粟粒結核と肺壊疽がある。粟粒結核は結核末期に起り易いものである、何故なれば、腐敗喀痰は強毒である為、肺胞にカタルを起すからである。之は喉頭結核も同一の理であって、喉頭結核者の特徴である声が嗄れるのは、声帯弁膜に喀痰の猛毒が触れ、粘膜にカタルを起すからである。又肺壊疽は肺膜附近に腫物が生ずるので、多くは最初肺膜の外部に出来、漸次腫脹し肺臓内にまで侵入する。この病気は吾々の方では簡単に治癒される、其場合患者は必ず血膿の悪臭ある多量の吐痰をするが、之は腫物が開孔又は破裂し血膿が出るので腫物の場合と同様である。

茲で結核に就て、医家が解釈のつかない事実を体験される筈である。といふのは結核患者が頗る執拗な高熱が持続する場合がある。解熱剤、氷冷、注射等を行うもさらに効果なく、主治医が首を傾げ歎声をもらす事がよくある。今この理を説明してみるが、之は解熱法に対する反動熱である、勿論之は末期の症状であって、最初は微熱であるが、其当時無熱ならしめん為解熱剤を使用し一時的解熱はするが、翌日は発熱する。復解熱剤を用ひる、というように解熱剤を持続する結果反動熱が漸次強力化し、終に不可解な高熱となり、それにつれて解熱手段も漸次強化するといふ具合で、結局四十度位の高熱となるがこの場合医家は判断に苦しむのである。無論その結果急激な衰弱によって大抵は仆れるのである。処が意外にも吾々の方法ではこの原因不明の熱を解熱さす事は甚だ簡単である。それは一切の解熱法をやめ放任しておけば一旦は頗る高熱になっても、漸次解熱するのである。之は私の永い経験上、例外なく成功したのである。

(自観叢書一 昭和二十四年六月二十五日)