唯物主義と唯心主義

本教が発展するにつれて予想もしない事が次々起って来る。それは本教の発展に対し嫉視する者、敵意を持つ者等凡ゆる方法を以て妨害しようとするのである。その手段として彼等が一番用ふる戦術は当局者に向って投書する事である。其投書たるや実に荒唐無稽の甚だしい処ではない。吾等の全然知らない事や虚構に満ちたもの、中には反対に書くものもある、恰度小説や脚本を読むような感じである。

此様な邪悪なる手段を以て傷つけんとする彼等の意図は何が為であらうか、実に不可解極まると共に斯様な邪悪によって目的が達せらるると思ふその浅間しさが問題である。そうして投書する位の人間とすれば、相当の教育を受けたものである事は勿論で、先づインテリ層に属する者ともいえよう。

日本人中に、斯の如き邪悪が成功すると思ふ思想の持主が相当あるといふ事は実に寒心に堪えない処で、新日本建設などは何時の日か、前途遼遠を想はしむるものがある。然らば此ような不徳漢の絶えない原因は何処にあるかを大いに検討してみると、此最大原因としては何よりも教育に重大欠陥がある事である。何となれば投書家には青年が頗る多いといふにあるからで、それは全く唯物主義一点張りの思想を注入される為である。

元来唯物主義とは見えざるものは信ずべからずという信念によるのでそれが大中小学を通じて長期間注入されるのであるから一種の危険思想の卵が作られる訳である。故に彼等は正不正の区別などはテンデ頭に置かうともしない。唯だ利欲の為には虚偽も不正も邪悪も問ふ処ではない、何とかして自己の目的を達すればそれでいいといふのであるから実に恐るべき事だ。

而も驚くべき事は、社会の指導階級である国務大臣や大会社の社長級までが、同様の虚偽不正を行ひ小菅行となるのであるから、他は推して知るべきである。どうしても此際大浄化を行ひ日本人全体を自覚させ、道義的向上を計らなくては国家危い哉といふべきである。それには何よりも先づ徹底的に唯物主義を打破するより外に方法はない。そうするには如何にしても宗教の力に依らなければ絶対不可能である事を痛感するのである。

然らば何故宗教の力に依らなければならないかといふに、それは見えざるものを信ずるといふ信念である。処がそれは宗教のみの分野であって人の眼は誤魔化し得ても神の眼は誤魔化せない。否自分の眼さえ蔽ひ隠す事は出来ない、悪事は必ず暴露する、正義は必ず成功するといふ悪因悪果、善因善果の真諦を徹底的に青年層に植付ける事である。

それに対しては、宗教家の熱と力である事は勿論であって、特に望む処は当局に於てもそれ等悪質投書家に迷はされざるよう充分戒心されん事である。尤も一口に宗教といっても正邪の差別もあるから、之等に対しても鋭い批判の眼を向ける事は勿論である。

最後に言ひたい事はジャーナリストに対してである。彼等の大部分は唯物主義のカンカン者が多いので、此面からの悪影響も見逃し難い処である。

之に就ていつも思ふ事は、彼の野蛮人に対し空気の存在を知らしても信じないそうである。見えないといふ理由によってである、と同様の感は唯物主義者に神霊の実在を語る時もそうである。

(光新聞四号 昭和二十四年四月八日)