正邪の戦い

これは誰も知っている事だが、昔から宗教というものは、いつの時代でも初めどこか普通人と違った処のある人間が、一念発起と共に世を救わんとの願望から一宗一派を立て、教義を作り、相当人助けをしてる内、漸く世間から認められ、愈々これからという時になると、必ずと言いたい程妨害が現われる。この大きい例が釈迦に提婆、キリストにサタンとして誰も知っているが、然もその宗教に力があり、将来性があればある程、排撃弾圧も酷いのである。そこで彼等は先ず時の権力者を動かし、世人に憎悪感を起させるべく、巧妙な理屈やデマをデッチ上げ、宣伝これ努める。曰くアノ宗教は人を瞞し、遂には家をも亡ぼすような恐ろしい迷信であるから、決して触れてはならないというように思わせる。勿論調べもせずして独善的に決めてしまい、社会的信用のある人士や、一流の言論機関等を扱う人を自由にするのも、皆邪神が憑依しそう思わせるのであるから、御本人は一向気がつかず、自己意識と思っていると共に、一般人にも邪神の仲間が憑依し、両者相呼応するのだから堪らない。これが邪神の仕組である。

そのような訳で、今日新宗教として既成宗教を凌ぐ程の力あり、社会の為大いに貢献している宗教程邪神から目指され、極力妨害されるのである。本教などはその第一の目標であるから、この妨害を排除しつつ進むので全く容易な業ではない。それに就いてその根本原因をかいてみよう。

抑々霊界に於ては、太初から邪神界という悪の世界と、それに対峙している正神界という善の世界があって、常に鎬(シノギ)を削って闘っている。そうして邪神界の頭目は非常な力を有って君臨し、何億の部下を自由自在に駆使し、彼が最後の目的たる全世界の実権を掌握しようとする驚くべき大計画の下に、着々成果を挙げつつあるのである。そんな訳で最も邪魔になるのは、善を唱え正義を目標とする宗教者であるから、偶々宗教的偉人が出現するや、凡ゆる手段を以て弾圧し、亡ぼそうとする。今日迄の幾多の宗教が一時は旺んであっても、いつの間にか骨抜き同様にされるのは負けたからであって、その理由こそ私が常に唱える今日迄は夜の世界、即ち月神の主宰で、光が弱かったからである。故に致命的とはならないまでも、形を残すにすぎないのである。

それが我国に於ける比較的新しい宗教にも現われている。先ず幕末から明治にかけての新宗教としての、各宗祖の受けた法難である。彼の天理教、大本教、徳光教、人の道等がその主なるもので、天理教祖中山ミキ刀自の如き、十数回に亘る投獄の苦難をなめたし、大本教祖出口王仁三郎氏は獄中生活七年に及んで漸く出所の喜びも束の間、遂に不帰の客となったのは、長い獄中生活の疲労と苛酷な取調の為であった事は言う迄もない。又、徳光教祖金田某氏の如きは、常に警察官が附き纒い、死ぬ間際まで殆んど自由がなかったそうである。次の人の道教祖御木徳一氏も数年の投獄から出るや、間もなく他界したのは、これも酷い責苦に遭った為といわれている。そうして昭和に入ってからの法難の第一人者としては先ず私であろう。これに就いて些かかいてみるが、前記の如く長い期間霊界は夜であったが為、邪神群は思う儘世を乱し暴威を振い、長夜の夢を貧っていた処、突如として現われたのが我救世教である。何しろ我救世教は今迄現われた事のない昼の宗教、即ち太陽神の主宰であるから、流石の彼等も愕然として色を失い、周章(アワ)て出したのは勿論である。そこで、何とかして本教を葬るべく凡ゆる手段を尽くした。その現われが、幾度もの受難であったのである。彼の昭和二十三年の脱税事件、次でC・I・Dの米兵十人の大袈裟な家宅捜索、次が静岡の経済違反事件等であった。処がこの時の大掛りな弾圧の為、一時は再起不能とさえ思われた程だが、無事に乗切り、今日あるを得たのは、全く正神の力が勝っていたからである。その間にも絶えざる言論機関の無理解や、最近の声のジャーナリストによるデマ放送の如き、邪神軍の執拗な攻撃には相当悩まされるのである。

というように霊界に於ては、本教を中心として正邪入り乱れての千変万化、虚々実々の闘争が続いているのは、何といっても本教が彼等にとっては空前の大敵であるからである。従って若し本教が負けるとしたら、世界は悪魔の世界となるより外ないので、神は前以て周到なる準備をされて来た。その一つが民主々義であるから、本教幾多の受難も大局には影響なく、発展の一路を辿りつつあるのは、洵に慶賀に堪えないと共に、全く太陽神の強烈な光の為であるから、今後太陽が昇るにつれて、邪神軍は漸次敗退の止むなきに到り、茲に善の世界実現の運びとなるのである。

(地上天国五十号 昭和二十八年七月二十五日)