文化的野蛮性

本教は知らるる如く、病貧争絶無の世界建設をモットーとしているのであるが、深く考えてみると、右の三大災厄の根本は、何といっても人間の野蛮性がまだ残っているからである。従って此点に目覚め之を払拭してこそ真の文明世界が生れるのである。では一体其野蛮性とは何かというと、全然気の付かない処に伏在している大きなものがある。其第一は医療であるが、不思議な事には之に気が付かないばかりか寧ろそれを進歩の結果とさえしている事で、恐らく此位酷い間違いはないであろう。今仮に病気に罹るや先づ服薬、注射、手術、光線療法等々の外、色々な物理療法をも行うのであるが、之を冷静に検討してみる時、一つとして野蛮ならざるはない。先づ第一の薬剤であるが、之は鉱物、植物、動物の臓器等から、種々の操作を経て抽出したものであって、実をいうと之等は治病とは何等関係はないのである。何となれば若し薬剤で病気が治るものとしたら、之程進歩した薬剤であるとしたら、病人は年々減ってゆかねばならない筈である。処が今以て医師や薬屋の失業者、病院の経営難等は殆んど聞かないばかりか、反って結核患者は巷に氾濫し、ベット不足の声は常に聞く処であり、入院を申込んでも半年から一年以上も待たなければ入れないという始末であるし、又各種伝染病にしても年々増えるばかりで、悲鳴を上げているのも衆知の通りである。

右の事実にみても、薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果など些かもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増へるだけである。薬の方は此位にしておいて、次の手術であるが、之も勿論真の医療ではない。何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し除去する方法ではないに拘わらず、医療は治し得ないから非常手段によって治そうとする窮余の方法でしかないのである。少なく共文化的ではなく野蛮以外の何物でもない。而も之を医学の進歩とさへ思うのであるから驚くべき錯誤である。いつもいう如く手術とは貴重なる人体の一部を毀損し不具にするのであるから、勿論一生涯一人前の人間としての役目を果す事は出来ない。又次の光線療法や物理療法にしても、大同小異であるから略すが、要するに現代医学の進歩とは、巧妙に文化の衣を着せた野蛮的行為でなくて何であろう。

次に貧乏に就てもかいてみるが、此原因の殆んどは病気の為であるから、謂わば野蛮行為からの派生的産物と言ってよかろう。そうして此貧乏を解決しようとして、社会共産主義などが生れたのであるが、之等も主義を貫(ツラヌカ)んとして、盲目的に平和の手段によらず、暴力や破壊手段を用いるのであるから、よしんば理屈はどんなに立派であっても、一種の野蛮行為でしかない事は今更言う迄もない。そうして今日貧乏から生れる多くの不幸者を救おうとして、赤十字や社会補償、保険制度、救貧事業等、幾多の方策を行っているが、之等も幾らかの役には立つが、根本に触れていない以上其効果たるや知れたものである。という訳で社会不安はいつになっても解決の曙光さえ見えないのである。

最後に言いたい事は、今日世界中一人の漏れなく、不安に脅えている問題は何といっても戦争であろう。而も昔と違い今日は何事も世界的大規模になっている以上、戦争といっても一国と一国の争いではなく、若し始まったとしたら世界は二つに分れ、敵か味方かのどちらかに追い込まれ、中立的態度は勿論不可能であるから、茲に大殺陣の場面となり、空前の野蛮時代が出現するであろう。以上の如くどの方面から観ても現代は標題の如く、文化的野蛮時代といっても敢えて過言ではあるまい。

(地上天国三十八号 昭和二十七年七月二十五日)