巻頭言

久し振りで時局の事を少しかいてみるが、日本の講和問題も、愈々最後の幕となって、今三十一日吉田首相は、総勢四十数人を引き連れ、桑港(サンフランシスコ)へ旅立つ事となったが、先ずは芽出度いとは言えないかも知れないが、結構な事とは言えよう。そこで差当り講和後の問題としては、先ず貿易関係であるが、之は相当やりよくなるであろうが、一番問題となるのは、彼の自主的国防の見地から、米国との話合いで、二十個師の軍備を作る事になったという一事である。だが口では簡単に言えるが、数年間全然無防備国家であった我国としては、新規蒔直しであるから、経済上は固より凡ゆる面から言っても、容易ではあるまい。といってイザとなれば此位の軍備では、間に合わないのは知れ切った話であるが、今の処国際関係や経済面からいっても、之以上は困難であろうから、先ず無いよりは増しと言う程度であろう。

そうして今の場合、何と言っても問題であるのは、国連と中共との停戦問題であろう。御承知の通り今迄の処、晴れたり曇ったり、近頃の天気模様のように見当がつかないが、考える迄もなく、円満妥協が出来るのは先ず至難である事は、誰が目にも明かであろう。そうかといって他に何等の手段がないとしたら、擦った揉んだの揚句、どうしても衝突の止むなきに到るであろう事は間違いあるまい。然しそこ迄になるには、まだまだ幾変遷があるであろう。

然し今迄の例にみても、戦争は理屈や打算だけではない。時の勢いで、双方退くに引かれぬ羽目となって、始まる事が多いようで、仲々安心は出来ないのである。そうして此世界の実状を霊的に検討してみると、斯ういう事になる。何しろ全世界の霊界は曇りに曇り切っており、どうする事も出来ないまでになっているので、神様の方では時期も段々迫って来るし、光りも強くなってくるので、浄化作用も激しくなり、病気も増し、戦争も近寄って来ると共に、凡ゆる面にも変化が急速となり、愈々最後の世となるとしたら、一刻も早く多くの人々にそれを知らせ、一人でも多く救わなければならないのである。

従って吾々としても、よく世界の動勢を頭に入れて、御神示のまま大いに邁進しなくてはならないであろう。

(地上天国二十八号 昭和二十六年九月二十五日)