巻頭言

我救世教は、病気治し専門のように思われているが、一般は只病気とさえ言えば、肉体のみの悩みと思っているが、此観方は実に違ってはいないが、洵に小さい観方である。若しそれだけとしたら、本教の病気治しは進歩した医学でしかない事になるが、之だけでは本教に対する全体的観方ではない。一部分の観方である。

飜ってよく考えて見て貰いたい事は、地球のありと凡ゆるものの現在の姿である。言う迄もなく、其殆んどが不合理極まるものであり、本当のものは絶無ではない迄も、寥々たる有様で、それが為人類の悩みは、何時になったら解決出来るか見当さえつかないのである。之を一言にしていえば、世界全体が病気に罹ってをり、一つ一つの国もそれと同様である。成程広い世界と雖も、根本は個人々々の集りで成っている以上、よく考えてみれば個人の病気が国に映り、それが又世界に映るのであるから、世界が病体となっている訳である。としたら、其逆に考えてみたら直ぐ分る。即ち個人が健全になれば国家が健全になり、国家が健全になれば世界が健全となるのであるから、此理を充分知ったなら、本教のモットーである地上天国を造るには、之より外に方法のない事が分るであろう。此理によって個人々々の病気を治すだけで、其大目的は達成せられるのである。

従って本教の批判者は、以上の道理を頭に入れて、冷静に観て貰いたいのである。

(地上天国二十五号 昭和二十六年六月二十五日)