巻頭言

朝鮮の動乱も、暫く燻っていた処、最近に至り、俄然火の手が上ろうとする気配が見えて来た。何しろ今度燃え始まったら大変な事になろう。或は世界を焼き尽す劫火となるかも知れないからである。外電の報ずる処によるも、満洲爆撃は、第三次戦争の口火となるかも知れないと言われている。全く中共の腰の強さからみれば、只事ではないと思っていた。果せる哉、昨今の状勢は、それが如実に現われて来た事が窺われる。情報によれば、ソ聯から百六十万の装備を送るというし、飛行機も種々取混ぜて千三百機(一説には三千機ともいう)を供給するとの事であり、其他艦船二十五万噸、潜水艦二十隻が出動の準備中との事である。而も亦百廿五万の軍隊は、急速に朝鮮に集結するとも言われている。又マ元帥の方も、中共がもし朝鮮を爆撃して来れば、直ちに満洲爆撃も自由であるとの、米陸軍本部からの指令が来たとの事であるから、近く両軍の大空中戦が、朝鮮か満洲の空で、大々的に始まるのは、最早どうする事も出来ない運命と言えよう。

之等の状勢を綜合して考える時、日本国民と雖も、今迄と異った観点に立って、事態を見極めなければならないと共に、充分腹帯を締める必要が迫っている。火事が大きくなると、いつ何時火の粉が降ってくるかも判らない。危機は刻々身近に迫りつつある。無防備国家日本も、国力の許す限り、まだ講和は決らないとしても、聯合軍の援助に乗出さなければならない事になろう。その場合日本としては、軍需工場の最高能力の発揮、基地の提供、国内の警備等に全力を注がねばなるまい。

又外電によれば、ソ聯の方には、原爆四百個が貯えられており、米の方は五百乃至一千個というのだから、愈々初まったら原爆戦争は必死で、どんな悲惨な場面が出現するか、恐らく想像もつくまい。そこで吾々日本人にとっても、最悪の場面を考えておく必要があろう。何しろ日本は位置からいっても国力から言っても、東亜の最重要点である以上、米ソ両方の争奪戦となるのは想像され得る。とすれば飛ばっ散り処ではない、両軍火花を散らす、戦場とならないとも限らないであろう。とすれば朝鮮の二の舞となる危険性もあり、之等を考える時、日本国民としては一大覚悟をしなければなるまい。

右は、常識的に感じたままかいたのであるが、吾々宗教家としての観方は又別である。之も余り深くかく事は許されないが、いつもいう通り、最後の世の大浄化作用であって、行く処まで行かない限り治まりはつくまい。之こそ聖書の所謂火の洗霊でなくて何であろう。一言にして言えば、一大破壊が行われるのである。それに就て自観叢書にある、昭和六年六月十五日の黎明期が、十年後の十六年六月十五日で、此時も一大神秘があったが、本年は二十年目に当るので、六月十五日以後は、愈々現界に物質的大変化が起るであろう事も想像され得るのである。

(地上天国二十三号 昭和二十六年四月二十五日)