巻頭言

愈々、世界は無気味の空気が濃厚となって来た。勿論第三次大戦の不可避である事は、誰が目にも疑い得なくなった。といっても今直にそうなるとは思えないが、時の流れは仲々油断は出来ない。そうして米国初め聯合各国の軍備は、碌々出来ていないので、ソ聯の軍備に比較したら、非常な懸隔があるであろうから、どうしても或程度の時を稼がない訳にはゆくまい。それが為何とか外交手段によって、一日でも引延ばそうと懸命になっているのが、昨今見られる通りの国聯会議である。

勿論、ソ聯と雖も充分の上にも充分の戦備を整えなければならない以上、聯合国程でないまでもやはり時を稼ぐ必要があろう。此様に双方で時を稼ぐとしたら、結局どうなるかである。言う迄もなく遅れれば遅れる程、戦備が充実するからイザ戦争となるや、それだけ大きくなるのは勿論である。全く怖るべき危機はいやが上にも増大しつつある。

然らば此空前の大禍乱を前にして、吾々救世の大使命を担っているものとして、今後どうすればいいかという事が、痛切な問題であろう。言う迄もなく斯くの如き不安の渦中にあり乍ら、有難い事には吾々は前途の見通しがついているのみか、最後の土壇場に到ってメシヤ降臨という輝しい期待をさえ抱いているのである。そうしてメシヤ降臨は何を意味するかというと、勿論人類を救わせ給う古来からの約束である。としたら茲に一大奇蹟が表われるに違いない事は、絶対確信している吾等である。

所謂、それが最後の時であるとしたら其千載一遇の秋(トキ)に当って、神の僕として奉仕の光栄を有する吾等の多幸は、感激の言葉はないのである。

(地上天国二十号 昭和二十六年一月二十五日)