巻頭言

従来、巻頭言は私が書いてゐたのであるが、御承知の如く思はざる今回の突発事件の為、本誌十六号は殆んど出来かかってゐたのであったが、中止のやむなきに至った次第である。然し漸く筆を執り得るやうになったから、急遽出版の運びになった訳である。

その期間、世の中の変ったのは驚くべき程で、その中特に瞠目すべきは、言ふ迄もなく朝鮮問題である。大戦が済んでから、夢の間に五年は過ぎ、最早あの戦争の惨苦も忘れかけやうとした時、突如として我国にとっては一葦帯水の朝鮮半島に火が燃え始めた。といっても終戦後の世界は既に冷い戦争は始ってゐたのであるが、之が熱い戦争に転化するのは時の問題のやうに思はれ、無気味な予感は何人の胸からも離れなかった。処が果然東洋の一角、而もお隣りから火が燃え始めた。然し六月二十五日始まった当初は、米の優秀なる戦備を以てすれば、蟷螂の斧でしかないと多寡を括ってゐたが、それは大違ひであった。日の経つにつれて北鮮軍の案外強いのには驚かざるを得ないと共に、短期間に終ると想った此戦争も、案外長期に渉るのではないかと思ふやうになった。最近ト大統領は差当っての軍備百億ドル、状勢次第では五百億ドルの必要が生ずるかも知れないとの言にみても吾々も此戦争の見方を変えなければならない事になった。

而も、油断のならないのは、中共軍の動きである。彼は左手に北鮮を援助し、右手は台湾に延ばそうとしてゐるらしい。とすれば容易ならぬ形勢だ。そうなると米国も好むと好まないに拘はらず、大規模な戦争態勢をとらざるを得ないであらう。それのみかユーゴー、西ドイツ、イラン等々に何時火の手が上るか知れない不安がある。然し今の処まだそれ程の進展は見られないが、戦争が長引くにつれて漸次米ソの関係は抜き差しならない処までゆくであらうとすれば、その時こそ一大事の勃発は免れ得まい。而も、今日原爆時代を考えれば、人類は如何なる大惨禍に遭遇するか、真に予断を許さないものがある。

右は先づ、常識的判断であるが、何れにせよ無軍備日本は、その間にあって、如何なる歩みを続けるべきや、下手をすれば未曽有の窮地に陥るのは必定である。と言って運命のまにまに委す訳にもゆくまい。実に危機は迫ってゐる。然らば此世紀的大災厄を如何に切り抜けるかで、吾々は大なる覚悟を要するのは勿論である。基督の世の終りの聖言も最後の審判の警告も最早一片の空文ではない。眼の前の現実となって来たのだ。只如何なる様相と経路をとるかが問題である。吾等は此時こそ神を信じ神に縋ってゐた者と、其反対であった者との差別が万人の眼にも明かに映る時の来る事を確信してゐる。

以上の如く、空前の大惨禍は如何なる悪人と雖も悔改めざるを得ない処まで押詰められるであらう。之が最後の審判である、吾等が叫んでゐる大浄化である。斯くして汚穢は清められ、地上天国は出現するであらう。

(地上天国十六号 昭和二十五年八月十五日)