私が三十数年以前、慢性歯痛で悩んだ事があった。何しろ東京中の有名な歯医者には殆んど掛ったが治らないので絶体絶命となった時、或人の勧めで日蓮宗の行者にかかった事があった。その時行者が南無妙法蓮華経を唱えながら、その合間合間に小さな声で、「お前達二人は此人の歯痛を治すんだよ、治したら稲荷に祀ってやるから一生懸命にしろよ、お前は何々稲荷、お前は何々稲荷と名を附けてやる」と何回となく命令してゐたので、私も『ハハー二匹の狐に治させるんだな』と思ったと共に、行者の病気の治し方も判ったのである。然し今考えてみると、それで些かも効果はなかったが、然し歯痛の原因は薬毒の為という事が頭に浮んだので、それ以来歯医者にかかるのを断然やめた結果兎も角治ったのであるから、その時薬毒を知らしてくれたのは狐であった訳で、その狐こそ私の生命の恩人として大いに感謝してゐるのである。何となれば歯痛のヒドい時は頭脳も犯され、一時は発狂するか自殺するかという最後の運命をまで覚悟する程であったからである。
(地上天国十五号 昭和二十五年四月二十日)