宗教と信仰

単に宗教といい信仰といふと、世間は同一のように思ひ勝だが、実は別々の場合も多くあるのである。世間よく謂ふ鰯の頭も信心からなどの言葉は、これは信仰ではあるが宗教ではない。之と同様、野蛮人が木や石で作った怪異な偶像を拝むのも信仰ではあるが、宗教ではないのである。

以上の意味に於て、今日の文化人が偶像信仰などは低級として顧みないのは無理もないのである。といって宗教でさえあればいいという訳にもゆかない。それは単に宗教といっても上中下の段階があるからである。人間が本当に救はれるのは上級宗教でなくてはならないが、一寸聞くと宗教に上中下のあるなど変に思はれ易いが、万物一切は上中下の差別があり、宗教と雖もそれに漏るる筈はないのである。即ち上の宗教とは最高神が主宰され給うもので、その威徳は高く大にして強力である以上、救ひの力もそれに伴ふのは当然で、何よりも奇蹟の顕著である事である。

本教が、医学で治らない病気が治り、危機一髪の間に災害を免れたり、当然焼けるべき火難を免るる等の奇蹟はそれが為である。従而現当利益が顕著であればあるほど、その宗教の中心には最高神が御在ます事を知るべきである。

(地上天国十五号 昭和二十五年四月二十日)