天理本道に就て

忘れもしない昭和四年であった。某氏が突然来て「面白いからこれを読め」といって一小冊子を置いて行った。私は手にとってみると、之は当時天理教の別派として大阪方面に天理本道という名の下に独立した宗教運動を始めた大西愛次郎といふ人があったが、右はその宣言書ともいふべきものである。よく読んでみると、実に驚くべき事が書いてある。

氏の主張によれば、現在の天理教は全然人間が造ったもので、教祖である中山ミキ刀自の神憑りによって出たものではないから本当のものではない。然るに自分は教祖のお筆先そのままを骨子として教を立て、真の天理教を宣布するものであって、その為天理本道の名を附したのである。--といふのである。尤も天理教の御筆先の中に、今に本道が出るやぜと言ふ事がかいてあるからでもあろう。そうして内容は、教祖のお筆先お神楽歌の中から殆んど天皇に関したもののみを抜き出してかいてある。当時としては実に驚くべき程の大胆無謀であって、殆んど精神病者としか思えない程である。例えばそのお筆先の中に斯ういふお神楽歌がある。「高山の真の柱は唐人やこれが第一神の立腹」などは、いはば日本の天皇は中国人である。それが神様のお気に入らないという意味であるから大変だ。其他それに似たような不敬の歌やお筆先が数多く載ってゐたのである。処がそればかりなら未だしも、もっとヒドイ事を彼大西氏独自の宣言をしてゐる。それは斯うである。

即ち昭和五年五月五日迄に、天皇は御退位されなければ日本には大国難が来るという。それでは御退位された後一体誰が天皇になるかというと、それは大西自身というのであるから、愈よ以て気狂い沙汰としか思はれない。而も事もあらうにその小冊子を貴衆両院議員をはじめ要路の大官各新聞社等へ配布したのだから堪らない。直ちに官憲の活動となり彼の取調べに着手した。そうして右の小冊子には斯ういう事も書いてあった。気象台が颱風の発生を知るや、何日何時どこに襲来するという事を予報はするが、颱風そのものは気象台が作るのではないといふ意味と自分の予言と同様であって、ただ自分はその予言をするに過ぎないとカバーしてゐるが、事柄が事柄だけになかなかそんな言訳では官憲は承知しない。遂に取調べの結果四年の刑を言渡された。勿論刑は十数年前に済んだ筈である。彼は又斯ういふ事を言った。自分に子供が三人あるが、これは三種の神器であるとの事で、実に徹底的である。処が終戦後氏は猛然と活躍を始めた。何しろ彼の建前は、教祖のお筆先やお神楽歌を骨子としてゐる以上、天理教信者たる者は無条件で信奉するという訳で、磁石に吸はるる鉄屑の如く集り、教盛隆々として素晴らしい発展ぶりだという事である。それがあらぬか昨今大阪市羽衣附近に宏大な本山建築中との事であるから、既成天理教に対しては一大脅威というべきで、両教会今後の動向こそ注目に価するものがあらう。

茲で、前述の大西氏の予言を検討してみるが、建国以来空前の事態である天皇退位のその根本は、満洲事変が口火となったのである。とすれば同事変は昭和六年九月十八日が起点となったのであるから、昭和五年五月五日から数えて一年数ケ月後という事になり、大西氏の予言は先づ的中したといってもいい。此事も天理本道発展の契機ともなったのであらう。

(地上天国十四号 昭和二十五年三月二十日)