事実は雄弁なり

本教が、短時日に異常な発展を遂げ、倍々教線拡大しつつあるという事は何が為であらうか、恐らく此様な例は宗教史上空前といえよう。

此世智辛い世の中に金を出し、暇を欠き、熱心な信仰を続けるといふ事は、何物かなくてはならない。而も政治家、博士、大学教授、代議士、上級官吏、有力実業家、初め中商工業者、勤労階級、農民等に至るまで社会各層を網羅し、現在信徒数廿万に垂んとする、事実だけにみても考えなくてはならない筈である。

右の事実に目を蔽ひ、何等触るる事なく、独善的に迷信邪教と片づけて得々たる人も、今日少なからずある事実で、之亦何を物語ってゐるかであるが、然し、斯ういう人を一概に貶すのも勿論誤りである。といふ事は、事実今日迄の新宗教は全部といいたいほど、真の価値あるものはなかったからである。それらは成程発展当初は実に華々しく、将来の大宗教を約束するかに見られるが、年を経るに従ひ漸次活気を失ひ、龍頭蛇尾に終る事実は何人も知る処で、今尚存続してゐるものは数種に過ぎないという実情である。之等の実例が頭に滲みついてゐる世人が、新宗教を迷信邪教として片附けて了ふのも寧ろ当然ともいえよう。

茲で今度は本教に就て言はして貰うが、此場合一切の記憶を捨て白紙となり、無色の眼鏡を通して冷静にみられたいのである。手っとり早い話は先づ本教独特の浄霊の効果である。此効果こそは宗教史上否人類史上前例がないばかりか、想像すら出来ない偉効のあるものである。勿論、理屈でも一人よがりでもない。生きた事実そのものである。何よりの證拠は一人々々の体験によって感謝の溢れた報告が机上山なすのである。之をおかげばなしとして、光新聞及び地上天国に満載してゐる。

面白い事には、右の報告には宿所姓名を漏さずかいてあるから、当局は固より凡ゆる方面の人々が、手紙又は訪問して、事実か否かを調査する事も亦少なからずあるが、今日迄一人も事実と違ふと言って来た者がない、勿論おかげばなし中には死の宣告を受けた者、医師から不治を宣告されたもの、現代医学では不可能と断定されたものが、完全に治癒する事は勿論、病気以外の奇蹟の実例も無数に、日々各方面に表はれつつある等、現代人の常識では到底信じ得られないものばかりである。

吾等が、病貧争絶無の所謂地上天国を実現し得るといふ、途轍もない理想も、此事実を知ったなら、その可能を信じざるを得ないのである。故に吾等が今現に行ひつつある仕事は、実をいえば宗教とはいえない、何となれば宗教といえば、兎角既成宗教を連想し勝であるからで、本教の実態を把握しやうとする場合、寧ろ邪魔にさへなる。即ち本当をいえば、前例のない大なる救ひの業である。世界の大転換期に当って、此大きな救ひが出なければ人類の危機を免れる事は困難であるからである。随而神は私をして此大偉業の遂行者として選ばれ給うたのである。私は自分はメシヤだとは敢ていはないが、将来メシヤ的力を神が私をして発揮せしめられるであらう事は今日言ひ得るのである。

然し乍ら、昔から如何なる宗教と雖も、或期間世の誤解を受ける事は過去の宗教史をみれば判然としてゐる。私と雖も此例にもれず、常に誤解するものもあるが支持するものが漸次増えつつあるのである。故に私はただ神の命のままに行動し、神に任せきって時の推移に従ってゐるのみである。

(地上天国十一号 昭和二十四年十二月二十日)