巻頭言

抑々、吾等が唱える彌勒の世とは如何なる世であるかというと、それは甚だ簡単である。即ち、正しきものが栄え、正しからざるものが滅びる世をいふのである。処が、今日迄の世界をみると、凡眼には悪がはばり、善が虐げられるるように見えるのである。よくいう正直者が馬鹿をみるという事などもそうである、という事は、悪事が発覚するのに時日がかかったのである。つまり、悪の暴露が数十年もかかるとすれば、その期間悪によって出世をし、権勢をはり、栄華を誇り得たので、之をみる者は悪い事をしても幸福者になった方が近道と思ひ込む結果、悪人が殖え、善人が苦しむといふ結果、苦悩に充ちた世の中が出来たのである。

処がミロクの世になると、悪の暴露が非常に早くなる。即ち今日悪事をすると明日暴露するといふやうになる。故に如何なる悪人でも、悪い事をする事は馬鹿々々しくて出来なくなる。その反対に今日よい事をすれば、明日は善果が来るといふ訳で、いい事を競争でやるようになる。之ではいい世の中になるのは極ってゐる。苦悩など吹飛んでしまひ、不幸などは昔の語り草になって了ふだらう。こんな事をいふと夢の世界とでも思うだらうが決してそうではない。吾々の眼の黒い中に必実現するのである。何と楽しい話ではないか。といふのは善人同志の話で、悪人は何と詰らねへ世の中と思ふかもしれない。が然し、悪人も今の悪の世に居るからそう思うが、善の世になると全然変ってしまふのである。

之がミロクの世の実相であるが、今では信じられまいが、之を絶対に信じ得る方法がある。言ふまでもなく、それは本教に入信し、或程度に信仰が進めば、些かも嘘でない事を信じ得るのである。

(地上天国九号 昭和二十四年十月二十五日)