犯罪増加と其解決策

終戦後犯罪の殖えたことは驚くべきものがある。今その数字を左に表はしてみよう。(昭和廿三年十二月廿日読売新聞記事による)

「大まかな数字をあげると、窃盗の有罪人数は太平洋戦争前後の昭和十六、七年は一年間に一万五千人あまりであったが、戦後の廿年九月から廿一年八月までの一年間は五万四千人あまり、廿一年九月から廿二年八月までの一年間は七万四千人あまりになってゐる。約五倍の増加である。強盗についてはその殖え方が窃盗より一層顕著である。十六、七年は一年間に三百人あまりであったが、廿年九月から廿一年八月までの一年間は一千人あまり、廿一年九月から廿二年八月までの一年間は七千八百人あまりになった。十六、七年と廿二年とでは廿五倍の増加である。」

以上によってみても明かであるが、此原因として新聞紙其他の論評をみれば、その殆んどが戦争後の犯罪増加は世界共通の現象であり、物資不足による生活難、復員者の為の人口増加等にあるといふが全くその通りで間違ひはないが、然しそれ等は実は末梢的のもののみで、その根本に重大主因があることに気付かないのである。今その主因なるものを書いてみよう。

犯罪者が犯罪を行ふ場合に就て深く検討してみる時、彼等は人の眼を巧妙に避ける。つまり人の眼に触れさえしなければ隠し了(オオ)せるといふ心理で、これが窃盗者の考えであるから万一見破れたが最後、どうしても相手を殺害することになり犯行を暗に葬らうとする。之が強盗の心理であることは無数の実例によるも明かである。そうして此考え方は何が原因であるかといふと、全く宗教信念がないからで恐らく現代日本の社会位信仰心の稀薄な時代は曽てなかったであらう。然らば何故右のような信仰稀薄時代が招来されたかを知る必要がある。

日本軍閥が相当以前から戦争準備をしてゐた事は今日明かとなったが、勿論物質的には国防国家と称し平和産業をして漸次軍需工業に切換える一方、青年に対する軍事教練の如きも至れり尽せるの観があった。それ以外宗教の圧迫に乗り出し、特に新宗教に対しては無差別的に弾圧し、当時の新聞紙を賑はした事は未だ記憶に新なる処である。そうして此事はどういふ訳かといふと、如何なる宗教と雖も宗教と名のつく以上平和主義であり、無抵抗主義が建前であるから、その思想なるものは侵略戦争の場合凡そ有害となり邪魔となる。此理由によって闘争心を大いに鼓吹しなければならない。それには先づ宗教心を大いに引抜く必要がある。特に青年層ほど然りであるから其為当時の軍閥が笛を吹き太鼓を叩いたことは当然のことであった。之が為闘争心処ではない、残虐性にまで発展した事が今日の世相の因をなした事で、彼の犯罪者が復員者に多い事実はそれを雄弁に物語ってゐる。

以上の意味に於て現社会に呼吸してゐる青年層は実に災ひなるかなである。見よ、彼等青年が叩き込まれた処の忠君愛国思想は崩壊し、貴重なる生命を捧げて勝利に向って突進さしたその指導者等が、今日の如き惨めな運命に墜落したる以上、彼等が欺瞞されたといふ憤激と復員者に対する国民感情の冷たさ、生活苦等々の諸因によって遂に懐疑に陥り、社会を呪ひ、自暴自棄的になるといふ事は一面同情すべき点も多分にあるのである。といってもただ同情だけでは解決とはならない。宜しく強力なる指導者が出て彼等の前途に光明を与へ、生きることの喜びを示してこそ真の解決であることは勿論である。

本教団が今現に行ひつつある宗教活動は此点を重視し、相当の成果をあげつつあるのである。それは本教団に入信した人の意外に思ふことは青年信者が大部分を占めてゐることで彼等青年は異口同音に前述の如く指導精神を失ひ、何等か力強い納得のゆく宗教意欲に燃えてゐるので、一度本教の教義を知るや探し求めてゐたものはこれなるかなと、宛かも暗夜に燈火を得た如く入信するのである。勿論その喜びは非常なもので、茲に熱烈なる信仰者となり良青年と一変するのである。而も見えざる神仏の力の表現としての奇蹟に遇ひ、衷心より信ぜざるを得ないことになり、真に救はれるのである。此意味に於て如何なる教育も道徳も、此見えざるものを信ずるといふ一事がなければ骨抜き以外の何物でもないといへよう。

以上説く処によって現在激増せる犯罪を防止する方法は、真の宗教以外にないことを知るのである。

(地上天国二号 昭和二十四年三月一日)