皮肉文学の弁

皮肉とは皮と肉であるから、骨のない奴の戯言(ザレゴト)にして、物を直線に観、直線に語る事は攻撃の手が恐ろしい為、物を裏から見ゆがめて言ふ卑屈極まる奴なり、然し乍ら真面目クサッて物を観る奴は融通が利かず、洒落気がなく木石同様である。斯ういふ奴ばかりが殖えると世の中は面白くなくなる。今の人間は特に政治家など理屈の枠に閉じ込められて動きがとれず、国会は揚足とりやアラ探しを事とし、屁理屈の言ひ合ひが本職で、見物人には面白くも可笑しくもない。想ひ起す往年の加藤高明の有名な皮肉や、高橋是清の禅味タップリの答弁など、実に興味津々たるものがあった。然るに今日の国会はどうだ、石を噛むような答弁ばかりでウンザリする。僕は日本にもバーナード・ショウのような皮肉文学の大家の出でん事を望むや切なりである。

(地上天国一号 昭和二十三年十二月一日)