次ぎ次ぎに病気になる
愛知県S・K
私は高等科一年の頃より何と無く身体が弱く光明如来様の御力に救われる昨年の秋迄ズット医者に懸り切りの様なものでした。
九月頃少し身体も健康になり野良仕事も普通に出来る様になりましたので二〇日ばかり村の林道開鑿作業に出ましたら、労働が烈しかったためか、又逆戻りし衰弱し始めたので、早速医師に診断をして貰うと脚気と宣告され、言う通りの養生法で手当が早かったのか短期間で全快しました。
然し又次の病気が起り、それが直ると又移動するように次が悪くなる、マッタク悲観して仕舞いました。頼り無い医者の言葉を唯一の頼りにし、毎日の様に三里余の医院まで通って居る内に何の原因か判らず又身体はだるくなる一方でした。
或日医師がレントゲンをとってみようとすすめられたので、御願いしました。その結果は肺門淋巴腺炎だと聞かされ吃驚致しました。そのため労働は勿論、日光をも避け出来るだけ寝て居るように言われ、落胆の極に陥り医師の言われる通り寝たり、起きたりして日を過ごして居ました。
或日医者にヤトコニンを注射して貰ってから急に微熱が続き出し、頭を何かで殴られたようにガーンとし、とうとう正真正銘の病人に成って夜もロクロク眠れず嫌な事ばかり頭に浮んで来て、悲観のみが先に立つ、父母もいろいろと慰め元気づけて呉れるのですけど、兄二人姉二人を他界させ残る頼りの私が又この姿、口には出さないが今思うと父母もどの位暗い蔭に悩んだでしょう。少し熱でも出ると陰気臭い顔が三つどん底に突き落され暗黒の家の中でシーンとして、母などは涙を耐えるのに一生懸命のようでした。
丁度その頃親戚の人とK先生が御尋ね下され、その暗い様を見てさんざん強い戒めの御言葉を掛けられ、誰も家人以外には語っても無かったのに一寸掌をお振りになっただけで右肺門淋巴腺炎とびったりと言い当てられ、病に対する注意を聞かされ、なお有難い浄霊を頂き一度に元気付けられ、且つ今迄の間違いに大いに驚き、それ以来床を蹴って起き上り一里近い山道を教会へ通う事にしました。
先生の親切な御言葉と浄霊を毎日頂き一週間目にはそれとは別に足に大浄化をきたし、身動きも不自由でしかも一日二回激しい下痢が八日間程続き二昼夜余り一睡も出来ず難儀でしたが、K先生、I先生を煩わして御浄霊をお願いし二週間内外にて浄化も終り皆吃驚する程でしたがそれ迄青ざめて生色の無かった顔は血色が出、生気付き見違える程元気に成りその大浄化以来すっかり立上る事が出来ました。
暗かりし此現世も何時かしら明るくなりぬ吾救はれてより
私が救われただけでなく母の長年の腰痛も去り、仕事をしながらも善言讃詞を唱えて居る様な次第で気が違ったかと思われる程の常住坐臥光明如来の有難さで一杯である。
大前に額く毎に涙しぬ救はれたりし此身思へば
父も長年にわたるリウマチで出来ない仕事も種々有りましたが今年などどんな仕事も吃驚する位働いて呉れます。
昨年一一月御力を頂き今年二月光明如来様も御迎えする事が出来、幾年振りにか甦った一家、想えば彼の林道作業も当時は怨んだものでしたが、回顧すればこの有難い光明如来様に救われるための浄化だったと思われ誠に感謝の気持です。
救はれし幸を思へば身を竭し心砕きて報はでおかめや
数限り無い明主様のみ救いに預り暗黒の一家三名、感謝の日々を御恵みの万分の一をも悩める人に伝え度いと務めて居ります。有難く厚く御礼申上げます。
右の批判
此患者の経路をみると、わが神医術の理論を肯定して遺憾なしである。最初の一つの病気が治るや次の病気が発り、又治るや次が起るというような事実は、医学で治っても根治ではなく一時制えという事を物語っている。又根気よく固め療法で小康を得ていたが、林道作業という強労働の為浄化発生したのである。勿論斯ういう人は薬毒多有者であるから浄化発生し易いからでもある。又ヤトコニンの注射をするや悪化し臥床のやむなきに至ったという事は、注射の逆作用である。此様な病人は普通なら、長い間苦しんだ揚句死にまで及ぶのは常に見る処である。全く神療法によって救はれたという事は、大いなる幸運者といふべきである。
(救世五十六号 昭和二十五年四月一日)